丸官、たかを聞いてさえぶるぶるする。これ、この通り震えるわい。)で、胴肩を一つに揺《ゆす》り上げて、(大胆ものめが、土性骨の太い奴《やち》や。主人のものだとたかを括《くく》って、大金を何の糟《かす》とも思いくさらん、乞食を忘れたか。)
と言う。
目に涙を一杯ためて、(御免下さいまし、)と、退《すさ》って廊下へ手を支《つ》くと、(あやまるに及ばん、よく、考えて、何と計らうべきか、そこへくい附いて分別して返答せい。……石になるまで、汝《わり》ゃ動くな。)とまた柿を引手繰《ひったく》って、かツかツと喰いかきながら、(止《や》めちまえ、馬鹿、)と舞台へ怒鳴る。
(旦那様、旦那様、)多一が震声《ふるえごえ》で呼んだと思え。
(早いな、汝《われ》がような下根《げこん》な奴には、三年かかろうと思うた分別が、立処《たちどころ》は偉い。俺《おれ》を呼ぶからには工夫が着いたな。まず、褒美《ほうび》を遣る。そりゃ頂け、)と柿の蔕《へた》を、色白な多一の頬へたたきつけた。
(もし、御寮人様、)と熟《じっ》と顔を見て、(どうしましたら宜《よろ》しいのでございましょう、)と縋《すが》るようにして言ったか言わぬに、(猿曳《さるひき》め、汝《われ》ゃ、婦《おんな》に、……畜生、)と喚《わめ》くが疾《はや》いか、伸掛《のしかか》って、ピシリと雁首《がんくび》で額を打《ぶ》ったよ。羅宇《らう》が真中《まんなか》から折れた。
こちらの桟敷に居た娘が、誰より先に、ハッと仕切へ顔を伏せる、と気を打たれたか、驚いた顔をして、新高の、ちょうど下に居た一人商人風の男が、中腰に立って上を見た。
芸妓達も一時《いっとき》に振向いて目を合せた、が、それだけさ。多一が圧《おさ》えた手の指から、たらたらと糸すじのように血の流れるのを見たばかり、どうにも手のつけようがなさそうな容子《ようす》には弱ったね。おまけに知らない振《ふり》をして、そのまま芝居を見る姉さんがあるじゃないか。
私は、ふいと立って、部屋へ帰った。
傍《そば》に居ちゃ、もうこっちが撮出《つまみだ》されるまでも、横面《よこつら》一ツ打挫《うちひしゃ》がなくッては、新橋へ帰られまい。が、私が取組合《とっくみあ》った、となると、随分舞台から飛んで来かねない友だちが一人居るんだからね。
頭痛がする、と楽屋へ横になったッきり、あとの事は知りません。道
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