ひらき》をツイと押して、出て来て、小さくなって、背後《うしろ》の廊下、お極《きま》りだ、この処へ立つ事無用。あすこへ顔だけ出して踞《しゃが》んだもんです。(旦那、この娘《こ》を一人願われませんでござりましょうか。内々《うちうち》のもので、客ではござりません。お部屋へ知れますと悪うござりますが、貴下様《あなたさま》思召《おぼしめし》で、)と至って慇懃《いんぎん》です。
 資本《もとで》は懸《かか》らず、こういう時、おのぼりの気前を見せるんだ、と思ったから、さあさあ御遠慮なく、で、まず引受けたんだね。」

       七

「ずっと前へお出なさい、と云って勧めても、隅の口に遠慮して、膝に両袖を重ねて、溢《こぼ》れる八ツ口の、綺麗な友染《ゆうぜん》を、袂《たもと》へ、手と一所に推込《おしこ》んで、肩を落して坐っていたがね、……可愛らしいじゃないか。赤い紐《ひも》を緊《し》めて、雪輪に紅梅模様の前垂《まえだれ》がけです。
 それでも、幕が開いて芝居に身が入《い》って来ると、身体《からだ》をもじもじ、膝を立てて伸上って――背後《うしろ》に引込《ひっこ》んでいるんだから見辛いさね――そうしちゃ、舞台を覗込《のぞきこ》むようにしていたっけ。つい、知らず知らず乗出して、仕切にひったりと胸を附けると、人いきれに、ほんのりと瞼《まぶた》を染めて、ほっとなったのが、景気提灯《けいきぢょうちん》の下で、こう、私とまず顔を並べた。おのぼり心の中《うち》に惟《おも》えらく、光栄なるかな。
 まあ、お聞きったら。
 そりゃ可《よ》かったが、一件だ。」
「一件と……おっしゃると?」
「長いの、長いの。」
「その娘《こ》が、蛇を……嘘でしょう。」
「間違ったに違いない。けれども高津で聞いて、平家の水鳥で居たんだからね。幕間《まくあい》にちょいと楽屋へ立違って、またもとの所へ入ろうとすると、その娘の袂《たもと》の傍《わき》に、紙袋《かんぶくろ》[#「紙袋」は底本では「紙装」]が一つ出ています。
 並んで坐ると、それがちょうど膝になろうというんだから、大《おおい》に怯《ひる》んだ。どうやら気のせいか、むくむく動きそうに見えるじゃないか。
 で、私は後へ引退《ひききが》った。ト娘の挿した簪《かんざし》のひらひらする、美しい総《ふさ》越しに舞台の見えるのが、花輪で額縁を取ったようで、それも可《よし》さ。

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