る、が地方のだし、大分時間が費《かか》るらしい。
自動車の便はたやすく得られて、しかも、旅館の隣が自動車屋だと聞いたから、価値《ねだん》を聞くと、思いのほか廉《れん》であった。
「早速一台頼んでおくれ。……このちょっとしたものだが、荷物は預けて行きたいと思う。……成るべく、日暮までに帰って、すぐ東京へ立ちたいのだがね、時間の都合で遅くなったら一晩厄介になるとして――勘定はその時と――自動車は、ああ、成程隣りだ。では、世話なしだ、いや、お世話でした。」
表階子《おもてはしご》を下りかけて、
「ねえさん。」
「へい。」
「片原に、おっこち……こいつ、棚から牡丹餅《ぼたもち》ときこえるか。――恋人でもあったら言伝《ことづけ》を頼まれようかね。」
「いやだ、知りましねえよ、そんげなこと。」
「ああ、自動車屋さん、御苦労です。ところで、料金だが、間違はあるまいね。」
「はい。」
と恭《うやうや》しく帽を脱いだ、近頃は地方の方が夏帽になるのが早い。セルロイドの目金《めがね》を掛けている。
「ええ、大割引で勉強をしとるです。で、その、ちょっとあらかじめ御諒解を得ておきたいのですが、お客様が小人数《こにんず》で、車台が透いております場合は、途中、田舎道、あるいは農家から、便宜上、その同乗を求めらるる客人がありますと、御迷惑を願う事になっているのでありますが。」
「ははあ、そんな事だろうと思った。どうもお値段の塩梅《あんばい》がね。」
女中も帳場も皆笑った。
ロイドめがねを真円《まんまる》に、運転手は生真面目《きまじめ》で、
「多分の料金をお支払いの上、お客様がですな、一人で買切っておいでになりましても、途中、その同乗を求むるものをたって謝絶いたしますと、独占的ブルジョアの横暴ででもありますかのように、階級意識を刺戟しまして――土地が狭いもんですから――われわれをはじめ、お客様にも、敵意を持たれますというと、何かにつけて、不便宜、不利益であります処から。……は。」
「分りました、ごもっともです。」
「ですが、沿道は、全く人通りが少いのでして、乗合といってもめったにはありません。からして、お客様には、事実、御利益になっておりますのでして。」
「いや、損をしても構いません。妙齢《としごろ》の娘か、年増の別嬪《べっぴん》だと、かえってこっちから願いたいよ。」
「……運転手さん、こちらはね、片原へ恋人に逢いにいらっしゃったんだそうですから。」
しっぺい返しに、女中にトンと背中を一つ、くらわされて、そのはずみに、ひょいと乗った。元来おもみのある客ではない。
「へい御機嫌よう……お早く、お帰りにどうぞ。」
番頭の愛想を聞流しに乗って出た。
惜《おし》いかな、阿武隈《あぶくま》川の川筋は通らなかった。が、県道へ掛《かか》って、しばらくすると、道の左右は、一様に青葉して、梢《こずえ》が深く、枝が茂った。一里ゆき、二里ゆき、三里ゆき、思いのほか、田畑も見えず、ほとんど森林地帯を馳《はし》る。……
座席の青いのに、濃い緑が色を合わせて、日の光は、ちらちらと銀の蝶の形して、影も翼も薄青い。
人《じん》、馬《ば》、時々|飛々《とびとび》に数えるほどで、自動車の音は高く立ちながら、鳴く音《ね》はもとより、ともすると、驚いて飛ぶ鳥の羽音が聞こえた。
一二軒、また二三軒。山吹、さつきが、淡い紅《あか》に、薄い黄に、その背戸、垣根に咲くのが、森の中の夜《よ》があけかかるように目に映ると、同時に、そこに言合せたごとく、人影が顕《あら》われて、門《かど》に立ち、籬《まがき》に立つ。
村人よ、里人よ。その姿の、轍《わだち》の陰にかくれるのが、なごり惜《おし》いほど、道は次第に寂しい。
宿に外套《がいとう》を預けて来たのが、不用意だったと思うばかり、小県は、幾度《いくたび》も襟を引合わせ、引合わせしたそうである。
この森の中を行《ゆ》くような道は、起伏凹凸が少く、坦《たいら》だった。がしかし、自動車の波動の自然に起るのが、波に揺らるるようで便りない。埃《ほこり》も起《た》たず、雨のあとの樹立《こだち》の下は、もちろん濡色が遥《はるか》に通っていた。だから、偶《たま》に行逢う人も、その村の家も、ただ漂々|蕩々《とうとう》として陰気な波に揺られて、あとへ、あとへ、漂って消えて行《ゆ》くから、峠の上下《うえした》、並木の往来で、ゆき迎え、また立顧みる、旅人同士とは品かわって、世をかえても再び相逢うすべのないような心細さが身に沁《し》みたのであった。
かあ、かあ、かあ、かあ。
鈍くて、濁って、うら悲しく、明るいようで、もの陰気で。
「烏がなくなあ。」
「群れておるです。」
運転手は何を思ったか、口笛を高く吹いて、
「首くくりでもなけりゃいいが、道端の枝に……いやだな。」
うっかり緩めた把手《ハンドル》に、衝《つ》と動きを掛けた時である。ものの二三町は瞬く間だ。あたかもその距離の前途《ゆくて》の右側に、真赤《まっか》な人のなりがふらふらと立揚《たちあが》った。天象、地気、草木、この時に当って、人事に属する、赤いものと言えば、読者は直ちに田舎娘の姨《おば》見舞か、酌婦の道行振《みちゆきぶり》を瞳に描かるるであろう。いや、いや、そうでない。
そこに、就中《なかんずく》巨大なる杉の根に、揃って、踞《つくば》っていて、いま一度に立揚ったのであるが、ちらりと見た時は、下草をぬいて燃ゆる躑躅《つつじ》であろう――また人家がある、と可懐《なつか》しかった。
自動車がハタと留まって、窓を赤く蔽《おお》うまで、むくむくと人数《にんず》が立ちはだかった時も、斉《ひと》しく、躑躅の根から湧上《わきあが》ったもののように思われた。五人――その四人は少年である。……とし十一二三ばかり。皆真赤なランニング襯衣《しゃつ》で、赤い運動帽子を被《かぶ》っている。彼等を率いた頭目らしいのは、独り、年配五十にも余るであろう。脊の高い瘠男《やせおとこ》の、おなじ毛糸の赤襯衣を着込んだのが、緋《ひ》の法衣《ころも》らしい、坊主袖の、ぶわぶわするのを上に絡《まと》って、脛《すね》を赤色の巻きゲエトル。赤革の靴を穿《は》き、あまつさえ、リボンでも飾った状《さま》に赤木綿の蔽《おおい》を掛け、赤い切《きれ》で、みしと包んだヘルメット帽を目深《まぶか》に被った。……
頤骨《あごぼね》が尖《とが》り、頬がこけ、無性髯《ぶしょうひげ》がざらざらと疎《あら》く黄味を帯び、その蒼黒《あおぐろ》い面色《かおいろ》の、鈎鼻《かぎばな》が尖って、ツンと隆《たか》く、小鼻ばかり光沢《つや》があって蝋色《ろういろ》に白い。眦《まなじり》が釣り、目が鋭く、血の筋が走って、そのヘルメット帽の深い下には、すべての形容について、角が生えていそうで不気味に見えた。
この頭目、赤色《せきしょく》の指導者が、無遠慮に自動車へ入ろうとして、ぎろりと我が銑吉を視《み》て、胸《むな》さきで、ぎしと骨張った指を組んで合掌した……変だ。が、これが礼らしい。加うるに慇懃《いんぎん》なる会釈だろう。けれども、この恭屈頂礼をされた方は――また勿論されるわけもないが――胸を引掻《ひっか》いて、腸《はらわた》でも※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》るのに、引導を渡されでもしたようで、腹へ風が徹《とお》って、ぞッとした。
すなわち、手を挙げるでもなし、声を掛けるでもなし、運転手に向ってもまた合掌した。そこで車を留めたが、勿論、拝む癖に傲然《ごうぜん》たる態度であったという。それもあとで聞いたので、小県がぞッとするまで、不思議に不快を感じたのも、赤い闖入者《ちんにゅうしゃ》が、再び合掌して席へ着き、近々と顔を合せてからの事であった。樹から湧こうが、葉から降ろうが、四人の赤い子供を連れた、その意匠、右の趣向の、ちんどん屋……と奥筋でも称《とな》うるかどうかは知らない、一種広告隊の、林道を穿《うが》って、赤五点、赤長短、赤大小、点々として顕われたものであろう、と思ったと言うのである。
が、すぐその間違いが分った。客と、銑吉との間へ入って腰を掛けた、中でも、脊のひょろりと高い、色の白い美童だが、疳《かん》の虫のせいであろう、……優しい眉と、細い目の、ぴりぴりと昆虫の触角のごとく絶えず動くのが、何の級に属するか分らない、折って畳んだ、猟銃の赤なめしの袋に包んだのを肩に斜《ななめ》に掛けている。且つこれは、乗込もうとする車の外で、ほかの少年の手から受取って持替えたものであった。そうして、栗鼠《りす》が(註、この篇の談者、小県凡杯は、兎のように、と云ったのであるが、兎は私が贔屓《ひいき》だから、栗鼠にしておく。)後脚《あとあし》で飛ぶごとく、嬉しそうに、刎《は》ねつつ飛込んで、腰を掛けても、その、ぴょん、が留《や》まないではずんでいた。
――後に、四童、一老が、自動車を辞し去った時は、ずんぐりとして、それは熊のように、色の真黒《まっくろ》な子供が、手がわりに銃を受取ると斉《ひと》しく、むくむく、もこもこと、踊躍《ようやく》して降りたのを思うと、一具の銃は、一行の名誉と、衿飾《きんしょく》の、旗表《はたじるし》であったらしい。
猟期は過ぎている。まさか、子供を使って、洋刀《ナイフ》や空気銃の宣伝をするのではあるまい。
いずれ仔細《しさい》があるであろう。
ロイドめがねの黒い柄を、耳の尖《さき》に、?のように、振向いて運転手が、
「どちらですか。」
「ええ処で降りるんじゃ。」
と威圧するごとくに答えながら、双手を挙げて子供等を制した。栗鼠ばかりでない。あと三個も、補助席二脚へ揉合《もみあ》って[#「揉合《もみあ》って」は底本では「揉合《もみあ》つて」]乗ると斉《ひと》しく、肩を組む、頬を合わせる、耳を引張《ひっぱ》る、真赤《まっか》な洲浜形《すはまがた》に、鳥打帽を押合って騒いでいたから。
戒《いましめ》は顕われ、しつけは見えた。いまその一弾指のもとに、子供等は、ひっそりとして、エンジンの音|立処《たちどころ》に高く響くあるのみ。その静《しずか》さは小県ただ一人の時よりも寂然《ひっそり》とした。
なぜか息苦しい。
赤い客は咳《しわぶき》一つしないのである。
小県は窓を開放って、立続《たてつ》けて巻莨《まきたばこ》を吹かした。
しかし、硝子《がらす》を飛び、風に捲《ま》いて、うしろざまに、緑林に靡《なび》く煙は、我が単衣《ひとえ》の紺のかすりになって散らずして、かえって一抹《いちまつ》の赤気《せっき》を孕《はら》んで、異類異形に乱れたのである。
「きみ、きみ、まだなかなかかい。」
「屋根が見えるでしょう――白壁が見えました。」
「留まれ。」
その町の端頭《はずれ》と思う、林道の入口の右側の角に当る……人は棲《す》まぬらしい、壊屋《こわれや》の横羽目に、乾草《ほしくさ》、粗朶《そだ》が堆《うずたか》い。その上に、惜《おし》むべし杉の酒林《さかばやし》の落ちて転んだのが見える、傍《わき》がすぐ空地の、草の上へ、赤い子供の四人が出て、きちんと並ぶと、緋の法衣《ころも》の脊高が、枯れた杉の木の揺《ゆら》ぐごとく、すくすくと通るに従って、一列に直って、裏の山へ、夏草の径《こみち》を縫って行《ゆ》く――この時だ。一番あとのずんぐり童子が、銃を荷《にな》った嬉しさだろう、真赤な大《おおき》な臀《しり》を、むくむくと振って、肩で踊って、
「わあい。」
と馬鹿調子のどら声を放す。
ひょろ長い美少年が、
「おうい。」
と途轍《とてつ》もない奇声を揚げた。
同時に、うしろ向きの赤い袖が飜《ひるがえ》って、頭目は掌《てのひら》を口に当てた、声を圧《おさ》えたのではない、笛を含んだらしい。ヒュウ、ヒュウと響くと、たちまち静《しずか》に、粛々として続いて行《ゆ》く。
すぐに、山の根に取着いた。が草深い雑木の根を、縦に貫く一列は、殿《しんがり》の尾の、ずんぐり、ぶつりとした大赤楝蛇《おおやまかがし》が畝《うね》るようで、あのヘルメ
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