ちらはね、片原へ恋人に逢いにいらっしゃったんだそうですから。」
 しっぺい返しに、女中にトンと背中を一つ、くらわされて、そのはずみに、ひょいと乗った。元来おもみのある客ではない。
「へい御機嫌よう……お早く、お帰りにどうぞ。」
 番頭の愛想を聞流しに乗って出た。
 惜《おし》いかな、阿武隈《あぶくま》川の川筋は通らなかった。が、県道へ掛《かか》って、しばらくすると、道の左右は、一様に青葉して、梢《こずえ》が深く、枝が茂った。一里ゆき、二里ゆき、三里ゆき、思いのほか、田畑も見えず、ほとんど森林地帯を馳《はし》る。……
 座席の青いのに、濃い緑が色を合わせて、日の光は、ちらちらと銀の蝶の形して、影も翼も薄青い。
 人《じん》、馬《ば》、時々|飛々《とびとび》に数えるほどで、自動車の音は高く立ちながら、鳴く音《ね》はもとより、ともすると、驚いて飛ぶ鳥の羽音が聞こえた。
 一二軒、また二三軒。山吹、さつきが、淡い紅《あか》に、薄い黄に、その背戸、垣根に咲くのが、森の中の夜《よ》があけかかるように目に映ると、同時に、そこに言合せたごとく、人影が顕《あら》われて、門《かど》に立ち、籬《まがき》に立
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