「上へのっけられたより、扇で木魚を伏せた方が、女が勝ったようで嬉しいよ。」
「勝つも負けるも、女は受身だ。隠すにも隠されましねえ。」
どかりと尻をつくと、鼻をすすって、しくしくと泣出した。
青い煙の細くなびく、蝋燭の香の沁《し》む裡《なか》に、さっきから打ちかさねて、ものの様子が、思わぬかくし事に懐姙《かいにん》したか、また産後か、おせい、といううつくしい女一人、はかなくなったか、煩ろうて死のうとするか、そのいずれか、とフト胸がせまって、涙ぐんだ目を、たちまち血の電光のごとく射たのは、林間の自動車に闖入《ちんにゅう》した、五体個々にして、しかも畝《うね》り繋《つなが》った赤色の夜叉《やしゃ》である。渠等《かれら》こそ、山を貫き、谷を穿《うが》って、うつくしい犠牲を猟《か》るらん。飛天の銃は、あの、清く美しい白鷺を狙うらしく想わるるとともに、激毒を啣《ふく》んだ霊鳥は、渠等に対していかなる防禦をするであろう、神話のごとき戦は、今日の中《うち》にも開かるるであろう。明神の晴れたる森は、たちまち黒雲に蔽《おお》わるるであろうも知れない。
銑吉は、少からず、猟奇の心に駆られたのである。
同時にお誓がうつくしき鳥と、おなじ境遇に置かるるもののように、衝《つ》と胸を打たれて、ぞっとした。その時、小枝が揺れて、卯の花が、しろじろと、細く白い手のように、銑吉の膝に縋《すが》った。
[#地から1字上げ]昭和八(一九三三)年一月
底本:「泉鏡花集成9」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年6月24日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十三卷」岩波書店
1942(昭和17)年6月22日発行
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2006年3月27日作成
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