雲が蒼空《あおぞら》に舞っていた。
おかしな思出はそれぐらいで、白河近くなるにつれて、東京から来がけには、同じ処で夜《よ》がふけて、やっぱりざんざ降《ぶり》だった、雨の停車場《ステエション》の出はずれに、薄ぼやけた、うどんの行燈《あんどう》。雨脚も白く、真盛《まっさか》りの卯《う》の花が波を打って、すぐの田畝《たんぼ》があたかも湖のように拡がって、蛙《かえる》の声が流れていた。これあるがためか、と思ったまで、雨の白河は懐しい。都をば霞とともに出でしかど……一首を読むのに、あの洒落《しゃれ》ものの坊さんが、頭を天日に曝《さら》したというのを思出す……「意気な人だ。」とうっかり、あみ棚に預けた夏帽子の下で素頭《すこうべ》を敲《たた》くと、小県はひとりで浮《うっ》かり笑った。ちょっと駅へ下りてみたくなったのだそうである。
そこで、はじめて気がついたと云うのでは、まことに礼を失するに当る。が、ふとこの城下を離れた、片原というのは、渠《かれ》の祖先の墳墓の地である。
海も山も、斉《ひと》しく遠い。小県凡杯は――北国《ほっこく》の産で、父も母もその処の土となった。が、曾祖、祖父、祖母、なおその一族が、それか、あらぬか、あの雲、あの土の下に眠った事を、昔話のように聞いていた。
――家は、もと川越《かわごえ》の藩士である。御存じ……と申出るほどの事もあるまい。石州浜田六万四千石……船つきの湊《みなと》を抱えて、内福の聞こえのあった松平|某氏《なにがし》が、仔細《しさい》あって、ここの片原五万四千石、――遠僻《えんぺき》の荒地に国がえとなった。後に再び川越に転封《てんぽう》され、そのまま幕末に遭遇した、流転の間に落ちこぼれた一藩の人々の遺骨、残骸《ざんがい》が、草に倒れているのである。
心ばかりの手向《たむけ》をしよう。
不了簡《ふりょうけん》な、凡杯も、ここで、本名の銑吉《せんきち》となると、妙に心が更《あらた》まる。煤《すす》の面《つら》も洗おうし、土地の模様も聞こうし……で、駅前の旅館へ便《たよ》った。
「姉さん、風呂には及ばないが、顔が洗いたい。手水《ちょうず》……何、洗面所を教えておくれ。それから、午飯《おひる》を頼む。ざっとでいい。」
二階座敷で、遅めの午飯を認《したた》める間に、様子を聞くと、めざす場所――片原は、五里半、かれこれ六里遠い。――
鉄道はあ
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