で、と云っては失礼だが、お前|不忍《しのばず》まで行ってはどうだ。一所に行こうよ。
お蔦 まあ、珍しい。貴方の方で一所なんて、不思議だわね。(顔を見る)でも、悪い方へ不思議なんじゃないから私は嬉しい。ですがね、弁天様は一所は悪いの。それだしね、私貴方に内証《ないしょ》々々で、ちょっと買って来たいものがありますから。
早瀬 お心まかせになさるが可《い》い。
お蔦 いやに優しいわね。よしましょうか、私、……よそうかしら。
早瀬 なぜ、他《ほか》の事とは違う、信心ごとを止《よ》しちゃ不可《いけ》ない。
お蔦 でも、貴方が寂しそうだもの。何だか災難でもかかるんじゃないかと思って、私気になって仕ようが無い。
早瀬 詰《つま》らん事を。災難なんか張倒す。
お蔦 おお、出来《でか》した、宿のおまえさん。
早瀬 お茶屋じゃない。場所がらを知らないかい。
お蔦 嬉しい、久しぶりで叱られた。だけれど、声に力がないねえ。(とまた案ずる。)
早瀬 早く行って来ないかよ。
お蔦 あいよ。そうそう、鬱陶《うっとう》しいからって、貴方が脱いだ外套《がいとう》をここに置きますよ。夜露がかかる、着た方が可《い》いわ。
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※[#歌記号、1−3−28]気転きかして奥と口。
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お蔦 (拍手《かしわで》うつ。)
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天神様、天神様。
[#ここで字下げ終わり]
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早瀬 何だ、ぶしつけな。
お蔦 (それには答えず)やどをお頼み申上げます。
早瀬 (ほろりと泣く。)
お蔦 (行《ゆ》きかけつつ)貴方、見ていて下さいな、石段を下りるまで、私一人じゃ可恐《こわ》いんですもの。
早瀬 それ見ろ、弱虫。人の事を云う癖に。何だ、下谷《したや》上野の一人あるきが出来ない娘じゃないじゃないか。
お蔦 そりゃ褄《つま》を取ってりゃ、鬼が来ても可《い》いけれども、今じゃ按摩《あんま》も可恐《こわ》いんだもの。
早瀬 可《よ》し、大きな目を開《あ》いて見ていてやる。大丈夫だ、早く行《ゆ》きなよ。
お蔦 あい。
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※[#歌記号、1−3−28]互に心合鍵に、
[#ここから2字下げ]
早瀬見送る。――お蔦|行《ゆ》く。――
…………………………
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