しょう。私は余り折檻《せっかん》が辛うございますから、確《たしか》に思い切りますと言うんですけれども、またその翌晩《あくるばん》同じ事を言って苦しめられます時、自分でも、成程と心付きますが、本当は思い切れないのでございますよ。
 どうしてこれが思い切れましょう、因縁とでも申しますのか、どう考え直しましても、叱ってみても宥《なだ》めてみても、自分が自由にならないのでございますから、大方今に責め殺されてしまいましょう。」
 と云う、顔の窶《やつ》れ、手足の細り、たゆげな息使い、小宮山の目にも、秋の蝶の日に当ったら消えそうに見えまして、
「死ぬのはちっとも厭《いと》いませぬけれども、晩にまた酷《ひど》い目に逢うのかと、毎日々々それを待っているのが辛くってなりません。貴方お察し遊ばして。
 本当に慾《よく》も未来も忘れましてどうぞまあ一晩安々|寐《ね》て、そうして死にますれば、思い置く事はないと存じながら、それさえ自由《まま》になりません、余りといえば悔しゅうございましたのに、こうやってお傍《そば》に置いて下さいましたから、いつにのう胸の動悸《どうき》も鎮りまして、こんな嬉しい事はございませぬ。まあさぞお草臥《くたびれ》なさいまして、お眠うもございましょうし、お可煩《うるそ》うございましょうのに、つい御言葉に甘えまして、飛んだ失礼を致しました。」
 人にも言わぬ積り積った苦労を、どんなに胸に蓄《たくわ》えておりましたか、その容体ではなかなか一通りではなかろうと思う一部始終を、悉《くわ》しく申したのでありまする。
 さっきから黙然《もくねん》として、ただ打頷《うちうなず》いておりました小宮山は、何と思いましたか力強く、あたかも虎を搏《てうち》にするがごとき意気込で、蒲団の端を景気よくとんと打って、むくむくと身を起し、さも勇ましい顔で、莞爾《にっこり》と笑いまして、
「訳はない。姉さん、何の事《こっ》たな。」

       十二

「皆《みんな》そりゃ熱のせいだ、熱だよ。姉さんも知ってるだろうが、熱じゃ色々な事を見るものさ。疫《えやみ》の神だの疱瘡《ほうそう》の神だのと、よく言うじゃないか、みんなこれは病人がその熱の形を見るんだっさ。
 なかにも、これはちいッと私が知己《ちかづき》の者の維新前後の話だけれども、一人、踊で奉公をして、下谷《したや》辺のあるお大名の奥で、お小姓を
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