ぐ》ったが、年紀《とし》のころ二十三四、眉の鮮《あざや》かな目附に品のある美少年。殊にものいいの判然《はっきり》として訛《なまり》のないのは明《あきらか》にその品性を語り得た。お杉は一目見ると、直ちにかねて信心の成田様の御左《おんひだり》、矜羯羅童子《こんがらどうじ》を夢枕に見るような心になり、
「さぞまあ、ねえ、どうもまあ、」とばかり見惚《みと》れていたのが、慌《あわただ》しく心付いて、庭下駄を引《ひっ》かけると客の背後《うしろ》へ入交《いれかわ》って、吹雪込む門《かど》の戸を二重《ふたえ》ながら手早くさした。
「直ぐにお暇《いとま》を。」
「それでも吹込みまして大変でございますもの。」
と見るとお若が、手を障子にかけて先刻《さっき》から立ったままぼんやり身動《みうごき》もしないでいる。
「お若さん、御挨拶をなさいましなね、」
お若は莞爾《にっこり》して何にも言わず、突然《いきなり》手を支《つか》えて、ばッたり悄《しお》れ伏すがごとく坐ったが、透通るような耳許《みみもと》に颯《さっ》と紅《くれない》。
髷の根がゆらゆらと、身を揉《も》むばかりさも他愛なさそうに笑ったと思うと、フイと立ってばたばたと見えなくなった。
客は手持無沙汰《てもちぶさた》、お杉も為《せ》ん術《すべ》を心得ず。とばかりありて、次の室《ま》の襖越《ふすまごし》に、勿体らしい澄《すま》したものいい。
「杉や、長火鉢の処じゃあ失礼かい。」
十六
「いいえ、貴下《あなた》失礼でございますが、別にお座敷へ何いたしますと、寒うございますから。そしてこれをお羽織んなさいまし、気味が悪いことはございません、仕立《したて》ましたばかりでございます。」と裏返しか、新調か、知らず筋糸のついたままなる、結城《ゆうき》の棒縞《ぼうじま》の寝《ねん》ね子《こ》半纏《ばんてん》。被《き》せられるのを、
「何、そんな、」とかえって剪賊《おいはぎ》に出逢ったように、肩を捻《ねじ》るほどなおすべりの可《い》い花色裏。雪まぶれの外套を脱いだ寒そうで傷々《いたいた》しい、背《うしろ》から苦もなくすらりと被《かぶ》せたので、洋服の上にこの広袖《どてら》で、長火鉢の前に胡坐《あぐら》したが、大黒屋|惣六《そうろく》に肖《に》て否《ひ》なるもの、S. DAIKOKUYA という風情である。
「どうしてこんな晩に、遊女《おいらん》がお帰しなすったんですねえ、酷《ひど》いッたらないじゃアありませんか、ねえお若さん。あら、どうも飛《とん》でもない、火をお吹きなすっちゃあ不可《いけ》ません、飛でもない。」
と什麼《そもさん》こうすりゃ何とまあ? 花の唇がたちまち変じて、鳥の嘴《くちばし》にでも化けるような、部屋働の驚き方。お若は美しい眉を顰《ひそ》めて、澄《すま》して、雪のような頬を火鉢のふちに押《おし》つけながら、
「消炭を取っておいで、」
「唯今《ただいま》何します、どうも、貴下御免なさいましよ。主人が留守だもんですから、少姐《ねえ》さんのお部屋でついお心易立《こころやすだて》にお炬燵《こた》を拝借して、続物を読んで頂いておりました処が、」
「つい眠くなったじゃあないか、」とお若は莞爾《にっこり》する。
「それでも今夜のように、ふらふら睡気《ねむけ》のさすったらないのでございますもの。」
「お極《きまり》だわ。」
「可哀相《かわいそう》に、いいえ、それでも、全く、貴下が戸をお叩き遊ばしたのは、現《うつつ》でございましたの。」
「私もうとうとしていたから、どんなにお待ちなすったか知れないねえ。ほんとうに貴下、こんな晩に帰しますような処へは、もういらっしゃらない方が可《よ》うございますわ。構やしません、そんな遊女《おいらん》は一晩の内に凍砂糖《こおりざとう》になってしまいます。」と真顔でさも思い入ったように言った。お若はこの人を廓《くるわ》なる母屋の客と思込んだものであろう。
「私は、そんな処へ行ったんじゃあないんです。」
「お隠し遊ばすだけ罪が深うございますわ、」
「別に隠しなんぞするものか。
しかし飛んだ御厄介になりました、見ず知らずの者が夜中に起して、何だか気が咎《とが》めたから入りにくくッていたんだけれど、深切にいっておくんなさるから、白状すりや渡《わたり》に舟なんで、どうも凍えそうで堪《たま》らなかった。」
と語るに、ものもいいにくそうな初心な風采《ふうさい》、お杉はさらぬだに信心な処、しみじみと本尊の顔を瞻《みまも》りながら、
「そう言えばお顔の色も悪いようでございます、あのちょうど取ったのがございますから、熱くお澗《かん》をつけましょうか。」
「召《めし》あがるかしら、」とお若は部屋ばたらきを顧みて、これはかえってその下戸であることを知り得たるがごとき口ぶりである。
「どうして、酒と聞くと身震《みぶるい》がするんだ、どうも、」
と言いながら顔を上げて、座右のお杉と、彼方《かなた》に目の覚めるようなお若の姿とを屹《きっ》と見ながら、明《あかる》い洋燈《ランプ》と、今青い炎《ひ》を上げた炭とを、嬉しそうに打眺めて、またほッといきをついて、
「私を変だと思うでしょう。」
十七
「自分でも何だか夢を見てるようだ。いいえ薬にも及ばない、もう可《い》いんです。何だね、ここは二上屋という吉原の寮で、お前さんは、女中、ああ、そうして姉さんはお若さん?」
「はい、さようでございます。」とお若はあでやかに打微笑《うちほほえ》む。
「ええと、ここを出て突当りに家《うち》がありますね、そこを通って左へ行《ゆ》くと、こう坂になっていましょうか、そう、そこから直《じき》に大門ですか、そう、じゃあ分った、姉さん、」とお若の方に向直った。
「姉さんに届けるものがあるんです、」といいながらお杉に向い、
「確か廓《くるわ》へ入ろうという土手の手前に、こっちから行《ゆ》くと坂が一ツ。」
打頷《うちうなず》けば頷いて、
「もう分った、そこです、その坂を上ろうとして、雪にがっくり、腕車《くるま》が支《つか》えたのでやっと目が覚めたんだ。」
この日|脇屋欽之助《わさやきんのすけ》が独逸行《ドイツゆき》を送る宴会があった。
「実は今日友達と大勢で伊予紋に会があったんです、私がちっと遠方へ出懸けるために出来た会だったもんだから、方々の杯の目的《めあて》にされたんで、大変に酔っちまってね。横になって寝てでもいたろうか、帰りがけにどこで腕車に乗ったんだか、まるで夢中。
もっとも待たしておく筈《はず》の腕車はあったんだけれども、一体内は四《よ》ツ谷《や》の方、あれから下谷《したや》へ駆けて来た途中、お茶の水から外神田へ曲ろうという、角の時計台の見える処で、鉄道馬車の線路を横に切れようとする発奮《はずみ》に、荷車へ突当って、片一方の輪をこわしてしまって、投出されさ。」
「まあ、お危うございます、」
「ちっと擦剥《すりむ》いた位、怪我《けが》も何もしないけれども。
それだもんだから、辻車に飛乗《とびのり》をして、ふらふら眠りながら来たものと見えます。
お話のその土手へ上《あが》ろうという坂だ。しっくり支《つか》えたから、はじめて気がついてね、見ると驚いたろうじゃあないか。いつの間にか四辺《あたり》は真白《まっしろ》だし、まるで野原。右手の方の空にゃあ半月のように雪空を劃《くぎ》って電燈が映ってるし、今度|行《ゆ》こうという、その遠方の都の冬の処を、夢にでも見ているのじゃあるまいかと思った。
それで、御本人はまさしく日本の腕車《くるま》に乗ってさ、笑っちゃあ不可《いけな》い車夫が日本人だろうじゃあないか。雪の積った泥除《どろよけ》をおさえて、どこだ、若い衆、どこだ、ここはツて、聞くと、御串戯《ごじょうだん》もんだ、と言うんです。
四ツ谷へ帰るんだッてね、少し焦《じ》れ込むと、まあ宜《よ》うがすッさ、お聞きよ。
馬鹿にしちゃ可《い》かん、と言って、間違《まちがい》の原因《もと》を尋ねたら、何も朋友《ともだち》が引張《ひっぱ》って来たという訳じゃあなかった。腕車に乗った時は私一人雪の降る中をよろけて来たから、ちょうど伊藤松坂屋の前の処で、旦那召しまし、と言ったら、ああ遣《や》ってくれ、といって乗ったそうだ。
遣ってくれと言うから、廓《なか》へ曳《ひ》いて来たのに不思議はありますまいと澄《すま》したもんです。議論をしたっておッつかない。吹雪じゃアあるし、何でも可いから宅《うち》まで曳いてッておくれ、お礼はするからと、私も困ってね。
頼むようにしたけれど、ここまで参ったのさえ大汗なんで、とても坂を上《あが》って四ツ谷くんだりまでこの雪に行《ゆ》かれるもんじゃあない。
箱根八里は馬でも越すがと、茶にしていやがる。それに今夜ちっと河岸《かし》の方とかで泊り込《こみ》という寸法があります、何ならおつき合なさいましと、傍若無人、じれッたくなったから、突然《いきなり》靴だから飛び下りたさ。」
二人使者
十八
欽之助は茶一碗、霊水《かたちみず》のごとくぐっと干して、
「お恥かしいわけだけれど、実は上野の方へ出る方角さえ分らない。芳原はそこに見えるというのに、車一台なし、人ッ子も通らない。聞くものはなし、一体何時頃か知らんと、時計を出そうとすると、おかしい、掏《す》られたのか、落したのか、鎖ぐるみなくなっている。時間さえ分らなくなって、しばらくあの坂の下り口にぼんやりして立っていた。
心細いッたらないのだもの、おまけに目もあてられない吹雪と来て、酔覚《えいざめ》じゃあり、寒さは寒し、四ツ谷までは百里ばかりもあるように思ったねえ。そうすると何だかまた夢のような心持になってさ。生れてはじめて迷児《まいご》になったんだから、こりゃ自分の身体《からだ》はどうかいうわけで、こんなことになったのじゃあなかろうかと、馬鹿々々しいけれども、恐《こわ》くなったんです。
ただ車夫《くるまや》に間違えられたばかりなら、雪だっても今|帷子《かたびら》を着る時分じゃあなし、ちっとも不思議なことは無いんだけれども。
気になるのは、昼間|腕車《くるま》が壊れていましょう、それに、伊予紋で座が定《きま》って、杯の遣取《やりとり》が二ツ三ツ、私は五酌上戸だからもうふらついて来た時分、女中が耳打をして、玄関までちょっとお顔を、是非お目にかかりたい、という方があるッてね。つまり呼出したものがあるんだ。
灯《あかり》がついた時分、玄関はまだ暗かった、宅で用でも出来たのかと、何心なく女中について、中庭の歩《あゆみ》を越して玄関へ出て見ると、叔母の宅《うち》に世話になって、従妹《いとこ》の書物《ほん》なんか教えている婦人が来て立っていました。
先刻《さっき》奥さんが、という、叔母のことです。四ツ谷のお宅へいらっしゃると、もうお出かけになりましたあとだそうです。お約束のものが昨日《きのう》出来上って参りましたものですから、それを貴下《あなた》にお贈り申したいとおっしゃって、お持ちなすったのでございますが、お留守だというのでそのまま持ってお帰りなすって、あの児《こ》のことだから、大丈夫だろうとは思うけれど、そうでもない、お朋達《ともだち》におつき合で、他《ほか》ならば可《い》いが、芳原へでも行《ゆ》くと危い。お出かけさきへ行ってお渡し申せ、とこれを私にお預けなさいましたから、腕車で大急ぎで参りました。
何でも広徳寺前|辺《あたり》に居る、名人の研屋《とぎや》が研ぎましたそうでございますからッてね、紫の袱紗包《ふくさづつみ》から、錦《にしき》の袋に入った、八寸の鏡を出して、何と料理屋の玄関で渡すだろうじゃありませんか。」と少年は一|呼吸《いき》ついた。お若と女中は、耳も放さず目も放さず。
「鏡の来歴は叔母が口癖のように話すから知っています。何でも叔父がこの廓《くるわ》で道楽をして、命にも障る処を、そのお庇《かげ》で人らしくなったッてね。
私も決して良い処とは思わないけれども、大抵様子は
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