いいながら、慌てて懐中へ入れた手を、それなり胸に置いて、顔の色を変えたのである。
 しばらくして、
「まさか棚へ、」と思わず声を放って、フト顔を上げると、一枚あけた障子の際なる敷居の処を裾《すそ》にして、扱帯《しごき》の上あたりで褄《つま》を取って、鼠地に雪ぢらしの模様のある部屋着姿、眉の鮮《あざや》かな鼻筋の通った、真白《まっしろ》な頬に鬢《びん》の毛の乱れたのまで、判然《はっきり》と見えて、脊がすらりとして、結上げた髪が鴨居《かもい》にも支《つか》えそうなのが、じっと此方《こなた》を見詰めていたので、五助は小さくなって氷りついた。
「五助さん、」と得も言われぬやや太い声して、左の手で襟をあけると、褄を持っていた手を、ふらふらとある袖口に入れた時、裾がはらりと落ちて、脊が二三寸伸びたと思うと、肉《しし》つき豊かなぬくもりもまだありそうな、乳房も見える懐から、まともに五助に向けた蒼《あお》ざめた掌《てのひら》に、毒蛇の鱗《うろこ》の輝くような一|挺《ちょう》の剃刀を挟んでいて、
「これでしょう、」
 五助はがッと耳が鳴《なっ》た、頭に響く声も幽《かすか》に、山あり川あり野の末に、糸より
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