鷹揚《おうよう》に些《さ》も意に介する処のないような、しかも情の籠《こも》った調子で、かえって慰めるように謂《い》った。
お杉は心も心ならず、憂慮《きづかわ》しげに少年の状《さま》を瞻《みまも》りながら、さすがにこの際|喙《くち》を容《い》れかねていたのであった。
此方《こなた》はますます当惑の色面《おもて》に顕《あらわ》れ、
「可《い》いじゃアありません、可《よ》かあない、可かあない、」
と自ら我身を詈《ののし》るごとく、
「落すなんて、そんな間のあるわけはないんだからねえ、頼んだ人は生命《いのち》にもかかわる。」と、早口にいってまた四辺《あたり》を※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》した。
「一体どんなものでございます。」とお杉は少年に引添うて、渠《かれ》を庇《かば》うようにして言う。
「私も更《あらた》めちゃ見なかった、いいえ、実は見ようとも思わなかったような次第なんです。何でもこう紙につつんだ、細長いもので、受取った時少し重みがあったんだがね。」
お若はちょいと頷《うなず》いて、
「杉、」
「ええ、」
「瀬川さんの……ね、あれさ、」と呑込《のみこ》ませる。
「ええ、成程、貴下《あなた》、それじゃあ、何でございますよ、抱えの瀬川さんという方にお貸しなすったんですよ、あの、お頼まれなすった遊女《おいらん》は、脊の高い、品の可い、そして淋しい顔色《かおつき》の、ああ煩っているもんだからてっきり、そう!」
と勢《いきおい》よくそれにした。
「今夜までに返すからと言ったにゃあ言いましたけれども、何、少姐《ねえ》さんは返してもらうおつもりじゃございませんのに、やっと今こっちじゃあ思い出しました位ですもの。」
「何です、それは、」とやや顔の色を直して言った。口うらを聞けば金子《かね》らしい、それならばと思う今も衣兜の中なる、手尖《てさき》に触るるは袂落《たもとおとし》。修学のためにやがて独逸《ドイツ》に赴かんとする脇屋欽之助は、叔母に今は世になき陸軍少将|松島主税《まつしまちから》の令夫人を持って、ここに擲《なげう》って差支えのない金員あり。もって、余りに頼効《たのみがい》なき虚気《うつけ》の罪を、この佳人の前に購《あがな》い得て余りあるものとしたのである。
問われてお杉は引取って、
「ちっとばかりお金子です。」
欽之助は嬉しそうに、
「じゃあ私が償おう。いいえ、どうぞそうさしておくんなさい、大したことならば帰るまで待ってもらおうし、そんなでも無いなら遣《つか》って可いのを持っているから。」と思込んで言った。
「飛んでもない、貴下《あなた》、」と杉。
お若は知らぬ顔をして莞爾《にっこり》している。
此方《こなた》は熱心に、
「お願いだから、可いんだから、それでないと実に面目を失する。こうやって顔を合していても冷汗が出るほど、何だか極《きまり》が悪いんだ、夜々中《よるよなか》見ず知らずが入込んで、どうも変だ。」
「あなた、可いんですよ、私お金子を持っています、何にも遣わないお小遣《こづかい》が沢山《たんと》あるわ、銀のだの、貴下、紙幣《さつ》のだの、」といいながら、窮屈そうに坐って畏《かしこ》まっていた勝色《かちいろ》うらの褄《つま》を崩して、膝を横、投げ出したように玉の腕《かいな》を火鉢にかけて、斜《ななめ》に欽之助の面《おもて》を見た。姿も容《かたち》も、世にまたかほどまでに打解けた、ものを隠さぬ人を信じた、美しい、しかも蟠《わだかまり》のない言葉はあるまい。
左の衣兜
二十二
意外な言葉に、少年は呆《あき》れたような目をしながら、今更顔が瞻《みまも》られた、時に言うべからざる綺麗《きれい》な思《おもい》が此方《こなた》の胸にも通じたので。
しかも遠慮のない調子で、
「いずれお詫《わび》をする、更《あらた》めてお礼に来ましょうから、相済まんがどうぞ一番《ひとつ》、腕車《くるま》の世話をしておくんなさい。こういうお宅だから帳場にお馴染《なじみ》があるでしょう、御近所ならば私が一所に跟《つ》いて行《ゆ》くから、お前さん。」
杉は女《むすめ》の方をちょいと見たが、
「あなた何時《なんどき》だとお思いなさいます。私《わたくし》どもでは何でもありやしませんけれども、世間じゃ夜の二時過ぎでしょう。
あれあの通《とおり》、まだ戸外《おもて》はあんなでございますよ。」
少年は降りしきる雪の気勢《けはい》を身に感じて、途中を思い出したかまた悚《ぞっ》とした様子。座に言《ことば》が途絶えると漂渺《ひょうびょう》たる雪の広野《ひろの》を隔てて、里ある方《かた》に鳴くように、胸には描かれて、遥《はるか》に鶏の声が聞えるのである。
「お若さん、お泊め申しましょう、そして気を休めてから
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