分ってるが、叔母さんと来た日にゃあ、若い者が芳原へ入れば、そこで生命《いのち》がなくなるとばかり信じてるんだ。
その人に甘やかされて、子のようにして可愛がられて育った私だから、失礼だが、様子は知っていても廓は恐しい処とばかり思ってるし、叔母の気象も知ってるんだけれども、どうです、いやしくも飲もうといって、少《わか》い豪傑が手放《てばなし》で揃ってる、しかも艶《えん》なのが、まわりをちらちらする処で、御意見の鏡とは何事だ。
そうして懐へ入れて持って帰れと来た日にゃあ、私は人魂《ひとだま》を押《おッ》つけられたように気が滅入《めい》った。
しかもお使番が女教師の、おまけに大の基督教《キリストきょう》信者と来ては助からんねえ。」
打微笑《うちほほえ》み、
「相済まんがどうぞ宅《うち》の方へお届けを、といって平にあやまると、使《つかい》の婦人が、私も主義は違っております。かようなものは信じませんが、貴君《あなた》を心《しん》から思召していらっしゃる方の志は通すもんです。私もその御深切を感じて、喜んで参りました位です、こういうお使は生れてからはじめてです、と謂《い》った。こりゃ誰だって、全くそう。」
十九
「しかし土手下で雪に道を遮られて帰る途《みち》さえ分らなくなった時思出して、ああ、あれを頂いて持っていたら、こんな出来事が無かったのかも知れない。考えて見ればいくら叔母だって、わざわざ伊予紋まで鏡を持《もた》して寄越《よこ》すってことは容易でない。それを持して寄越したのも何かの前兆、私が受取らないで女の先生を帰したのも、腕車《くるま》の破《こわ》れたのも、車夫に間違えられたのも、来よう筈《はず》のない、芳原近くへ来る約束になっていたのかも知れないと、くだらないことだが、悚《ぞっ》としたんだね。
もっとも、その時だって、天窓《あたま》からけなして受けなかったのじゃあない、懐へでも入れば受取ったんだけれども、」
我が胸のあたりをさしのぞくがごとくにして、
「こんな扮装《いでたち》だから困ったろうじゃありませんか。
叔母には受取ったということに繕って、密《そっ》と貴女《あなた》から四ツ谷の方へ届けておいて下さいッて、頼んだもんだから、少《わか》い夜会結《やかいむすび》のその先生は、不心服なようだッけ、それでは、腕車で直ぐ、お宅の方へ、と謂って帰っち
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