谷までは百里ばかりもあるように思ったねえ。そうすると何だかまた夢のような心持になってさ。生れてはじめて迷児《まいご》になったんだから、こりゃ自分の身体《からだ》はどうかいうわけで、こんなことになったのじゃあなかろうかと、馬鹿々々しいけれども、恐《こわ》くなったんです。
 ただ車夫《くるまや》に間違えられたばかりなら、雪だっても今|帷子《かたびら》を着る時分じゃあなし、ちっとも不思議なことは無いんだけれども。
 気になるのは、昼間|腕車《くるま》が壊れていましょう、それに、伊予紋で座が定《きま》って、杯の遣取《やりとり》が二ツ三ツ、私は五酌上戸だからもうふらついて来た時分、女中が耳打をして、玄関までちょっとお顔を、是非お目にかかりたい、という方があるッてね。つまり呼出したものがあるんだ。
 灯《あかり》がついた時分、玄関はまだ暗かった、宅で用でも出来たのかと、何心なく女中について、中庭の歩《あゆみ》を越して玄関へ出て見ると、叔母の宅《うち》に世話になって、従妹《いとこ》の書物《ほん》なんか教えている婦人が来て立っていました。
 先刻《さっき》奥さんが、という、叔母のことです。四ツ谷のお宅へいらっしゃると、もうお出かけになりましたあとだそうです。お約束のものが昨日《きのう》出来上って参りましたものですから、それを貴下《あなた》にお贈り申したいとおっしゃって、お持ちなすったのでございますが、お留守だというのでそのまま持ってお帰りなすって、あの児《こ》のことだから、大丈夫だろうとは思うけれど、そうでもない、お朋達《ともだち》におつき合で、他《ほか》ならば可《い》いが、芳原へでも行《ゆ》くと危い。お出かけさきへ行ってお渡し申せ、とこれを私にお預けなさいましたから、腕車で大急ぎで参りました。
 何でも広徳寺前|辺《あたり》に居る、名人の研屋《とぎや》が研ぎましたそうでございますからッてね、紫の袱紗包《ふくさづつみ》から、錦《にしき》の袋に入った、八寸の鏡を出して、何と料理屋の玄関で渡すだろうじゃありませんか。」と少年は一|呼吸《いき》ついた。お若と女中は、耳も放さず目も放さず。
「鏡の来歴は叔母が口癖のように話すから知っています。何でも叔父がこの廓《くるわ》で道楽をして、命にも障る処を、そのお庇《かげ》で人らしくなったッてね。
 私も決して良い処とは思わないけれども、大抵様子は
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