まったんですよ。
 あとは大飲《おおのみ》。
 何しろ土手下で目が覚めたという始末なんですから。
 それからね。
 何でも来た方へさえ引返《ひっかえ》せば芳原へ入るだけの憂慮《きづかい》は無いと思って、とぼとぼ遣《や》って来ると向い風で。
 右手に大溝《おおどぶ》があって、雪を被《かつ》いで小家《こいえ》が並んで、そして三階|造《づくり》の大建物の裏と見えて、ぼんやり明《あかり》のついてるのが見えてね、刎橋《はねばし》が幾つも幾つも、まるで卯《う》の花|縅《おどし》の鎧《よろい》の袖を、こう、」
 借着の半纏《はんてん》の袂《たもと》を引いて。
「裏返したように溝《どぶ》を前にして家の屋根より高く引上げてあったんだ。」
 それも物珍しいから、むやむやの胸の中にも、傍見《わきみ》がてら、二ツ三ツ四ツ五足に一ツくらいを数えながら、靴も沈むばかり積った路を、一足々々踏分けて、欽之助が田町の方へ向って来ると、鉄漿溝《おはぐろどぶ》が折曲って、切れようという処に、一ツだけ、その溝の色を白く裁切《たちき》って刎橋の架《かか》ったままのがあった。
「そこの処に婦人《おんな》が一|人《にん》立ってました、や、路を聞こう、声を懸けようと思う時、
 近づく人に白鷺《しらさぎ》の驚き立つよう。
 前途《ゆくて》へすたすたと歩行《ある》き出したので、何だか気がさしてこっちでも立停《たちどま》ると、劇《はげ》しく雪の降り来る中へ、その姿が隠れたが、見ると刎橋の際へ引返《ひっかえ》して来て、またするすると向うへ走る。
 続いて歩行《ある》き出すと、向直ってこっちへ帰って来るから、私もまた立停るという工合、それが三度目には擦違って、婦人《おんな》は刎橋の処で。
 私は歩行《ある》き越して入違いに、今度は振返って見るようになったんだ。
 そうするとその婦人《おんな》がこう彳《たたず》んだきり、うつむいて、さも思案に暮れたという風、しょんぼりとして哀《あわれ》さったらなかったから。
 私は二足ばかり引返《ひっかえ》した。
 何か一人では仕兼ねるようなことがあるのであろう、そんな時には差支えのない人に、力になって欲しかろう。自分を見て遁《に》げないものなら、どんな秘密を持っていようと、声をかけて、構うまいと思ってね。
 実は何、こっちだって味方が欲《ほし》い。またどんな都合で腕車の相談が出来ないもので
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