遊女《おいらん》がお帰しなすったんですねえ、酷《ひど》いッたらないじゃアありませんか、ねえお若さん。あら、どうも飛《とん》でもない、火をお吹きなすっちゃあ不可《いけ》ません、飛でもない。」
 と什麼《そもさん》こうすりゃ何とまあ? 花の唇がたちまち変じて、鳥の嘴《くちばし》にでも化けるような、部屋働の驚き方。お若は美しい眉を顰《ひそ》めて、澄《すま》して、雪のような頬を火鉢のふちに押《おし》つけながら、
「消炭を取っておいで、」
「唯今《ただいま》何します、どうも、貴下御免なさいましよ。主人が留守だもんですから、少姐《ねえ》さんのお部屋でついお心易立《こころやすだて》にお炬燵《こた》を拝借して、続物を読んで頂いておりました処が、」
「つい眠くなったじゃあないか、」とお若は莞爾《にっこり》する。
「それでも今夜のように、ふらふら睡気《ねむけ》のさすったらないのでございますもの。」
「お極《きまり》だわ。」
「可哀相《かわいそう》に、いいえ、それでも、全く、貴下が戸をお叩き遊ばしたのは、現《うつつ》でございましたの。」
「私もうとうとしていたから、どんなにお待ちなすったか知れないねえ。ほんとうに貴下、こんな晩に帰しますような処へは、もういらっしゃらない方が可《よ》うございますわ。構やしません、そんな遊女《おいらん》は一晩の内に凍砂糖《こおりざとう》になってしまいます。」と真顔でさも思い入ったように言った。お若はこの人を廓《くるわ》なる母屋の客と思込んだものであろう。
「私は、そんな処へ行ったんじゃあないんです。」
「お隠し遊ばすだけ罪が深うございますわ、」
「別に隠しなんぞするものか。
 しかし飛んだ御厄介になりました、見ず知らずの者が夜中に起して、何だか気が咎《とが》めたから入りにくくッていたんだけれど、深切にいっておくんなさるから、白状すりや渡《わたり》に舟なんで、どうも凍えそうで堪《たま》らなかった。」
 と語るに、ものもいいにくそうな初心な風采《ふうさい》、お杉はさらぬだに信心な処、しみじみと本尊の顔を瞻《みまも》りながら、
「そう言えばお顔の色も悪いようでございます、あのちょうど取ったのがございますから、熱くお澗《かん》をつけましょうか。」
「召《めし》あがるかしら、」とお若は部屋ばたらきを顧みて、これはかえってその下戸であることを知り得たるがごとき口ぶりであ
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