さて見廻すと居廻《いまわり》はなおのことで、もう点灯頃《ひともしごろ》。
物の色は分るが、思いなしか陰気でならず、いつもより疾《はや》く洋燈《ランプ》をと思う処へ、大音寺前の方から盛《さかん》に曳込《ひきこ》んで来る乗込客、今度は五六台、引続いて三台、四台、しばらくは引きも切らず、がッがッ、轟々《ごうごう》という音に、地鳴《じなり》を交《まじ》えて、慣れたことながら腹にこたえ、大儀そうに、と眺めていたが、やがて途絶えると裏口に気勢《けはい》があった。
五助はわざと大声で、
「お勝さんかね、……何だ、隣か、」と投げるように呟《つぶや》いたが、
「あれ、お上んなせえ、構わずずいと入るべし、誰方だね。」
耳を澄《すま》して、
「畜生、この間もあの術《て》で驚かしゃあがった、尨犬《むくいぬ》め、しかも真夜中だろうじゃあねえか、トントントンさ、誰方だと聞きゃあ黙然《だんまり》で、蒲団《ふとん》を引被《ひっかぶ》るとトントンだ、誰方だね、黙《だんま》りか、またトンか、びッくりか、トンと来るか。とうとう戸外《おもて》から廻ってお隣で御迷惑。どのくらいか臆病《おくびょう》づらを下げて、極《きまり》の悪い思《おもい》をしたか知れやしねえ、畜生め、己《ひと》が臆病だと思いやあがって、」と中《ちゅう》ッ腹《ぱら》でずいと立つと、不意に膝かけの口が足へからんだので、亀《かめ》の子《こ》這《ばい》。
じただらを踏むばかりに蹴はづして、一段膝をついて躙《にじ》り上《あが》ると、件《くだん》の障子を密《そっ》と開けたが、早や次の間は真暗《まっくら》がり。足をずらしてつかつかと出ても、馴《な》れて畳の破《やぶれ》にも突《つっ》かからず、台所は横づけで、長火鉢の前から手を伸《のば》すとそのまま取れる柄杓《ひしゃく》だから、並々と一杯、突然《いきなり》天窓《あたま》から打《ぶっ》かぶせる気、お勝がそんな家業でも、さすがに婦人《おんな》、びったりしめて行った水口の戸を、がらりと開けて、
「畜生!」といったが拍子抜け、犬も何にも居ないのであった。
首を出して※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みま》わすと、がさともせぬ裏の塵塚《ちりづか》、そこへ潜って遁《に》げたのでもない。彼方《あなた》は黒塀がひしひしと、遥《はるか》に一|並《ならび》、一ツ折れてまた一並、三階の部屋々々、棟の数は多い
前へ
次へ
全44ページ中21ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング