見て、
「おッと十九日。」
 という処へ、荷車が二台、浴衣の洗濯を堆《うずたか》く積んで、小僧が三人寒い顔をしながら、日向《ひなた》をのッしりと曵《ひ》いて通る。向うの路地の角なる、小さな薪《まき》屋の店前《みせさき》に、炭団《たどん》を乾かした背後《うしろ》から、子守がひょいと出て、ばたばたと駆けて行《ゆ》く。大音寺前あたりで飴《あめ》屋の囃子《はやし》。


     紅梅屋敷

       六

 その荷車と子守の行違《ゆきちが》ったあとに、何にもない真赤《まっか》な田町の細路へ、捨吉がぬいと出る。
 途端にちりりんと鈴《りん》の音、袖に擦合うばかりの処へ、自転車一輛、またたきする間もあらせず、
「危い、」と声かけてまた一輛、あッと退《すさ》ると、耳許《みみもと》へ再び、ちりちり!
 土手の方から颯《さっ》と来たが、都合三輛か、それ或《あるい》は三|羽《びき》か、三|疋《びき》か、燕《つばめ》か、兎か、見分けもつかず、波の揺れるようにたちまち見えなくなった。
 棒立ちになって、捨吉|茫然《ぼうぜん》と見送りながら、
「何だ、一文も無《ね》え癖に、」
「汝《てめえ》じゃアあるまいし。」
「や、」
「どうした。」
「へい、」
「近頃はどうだ、ちったあ当りでもついたか、汝《てめえ》、桐島のお消《けし》に大分執心だというじゃあないか。」
「どういたしまして、」
「少しも御遠慮には及ばぬよ。」
「いえ、先方《さき》へでございます、旦那《だんな》にじゃあございません。」
「そうか、いや意気地《いくじ》の無い奴《やつ》だ。」と腹蔵の無い高笑《たかわらい》。少禿天窓《すこはげあたま》てらてらと、色づきの好《い》い顔容《かおかたち》、年配は五十五六、結城《ゆうき》の襲衣《かさね》に八反の平絎《ひらぐけ》、棒縞《ぼうじま》の綿入半纏《わたいればんてん》をぞろりと羽織って、白縮緬《しろちりめん》の襟巻をした、この旦那と呼ばれたのは、二上屋藤三郎《ふたかみやとうさぶろう》という遊女屋の亭主で、廓《くるわ》内の名望家、当時見番の取締《とりしまり》を勤めているのが、今|向《むこう》の路地の奥からぶらぶらと出たのであった。
 界隈《かいわい》の者が呼んで紅梅屋敷という、二上屋の寮は、新築して実にその路地の突当《つきあたり》、通《とおり》の長屋並《ならび》の屋敷越に遠くちらちらとある紅《く
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