れない》は、早や咲初《さきそ》めた莟《つぼみ》である。
捨吉は更《あらた》めて、腰を屈《かが》めて揉手《もみで》をし、
「旦那御一所に。」
「おお、これからの、」
という処へ、萌黄《もえぎ》裏の紺看板に二の字を抜いた、切立《きったて》の半被《はっぴ》、そればかりは威勢が可《い》いが、かれこれ七十にもなろうという、十筋右衛門《とすじうえもん》が向顱巻《むこうはちまき》。
今一|人《にん》、唐縮緬《とうちりめん》の帯をお太鼓に結んで、人柄な高島田、風呂敷包を小脇に抱えて、後前《あとさき》に寮の方から路地口へ。
捨吉はこれを見て、
「や、爺《とっ》さん、こりゃ姉さん、」
「ああ、今日はちっとの、内証《ないしょ》に芝居者のお客があっての、実は寮の方で一杯と思って、下拵《したごしらえ》に来てみると、困るじゃあねえか、お前《めえ》。」
「へい、へい成程。」
「お若が例のやんちゃんをはじめての、騒々しいから厭《いや》だと謂《い》うわ。じゃあ一晩だけ店の方へ行っていろと謂ったけれど、それをうむという奴かい。また眩暈《めまい》をされたり、虫でも発《おこ》されちゃあ叶《かな》わねえ。その上お前、ここいらの者に似合わねえ、俳優《やくしゃ》というと目の敵《かたき》にして嫌うから、そこで何だ。客は向《むこう》へ廻すことにして、部屋の方の手伝に爺やとこのお辻をな、」
「へい、へい、へい、成程、そりゃお前《めえ》さん方御苦労様。」
「はははは、別荘《おしもやしき》に穴籠《あなごもり》の爺《じじ》めが、土用干でございますてや。」
「お前さん、今日は。」とお辻というのが愛想の可《い》い。
藤三郎はそのまま土手の方へ行こうとして、フト研屋《とぎや》の店を覗込《のぞきこ》んで、
「よくお精が出るな。」
「いや、」作平と共に四人の方《かた》を見ていたのが、天窓《あたま》をひたり、
「お天気で結構でございます。」
「しかし寒いの。」と藤三郎は懐手で空を仰ぎ、輪|形《なり》にずッと※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》して、
「筑波の方に雲が見えるぜ。」
七
「嘘あねえ。」
と五助はあとでまた額を撫《な》で、
「怠けちゃあ不可《いけな》いと謂《い》われた日にゃあ、これでちっとは文句のある処だけれど、お精が出ますとおっしゃられてみると、恐入るの門なりだ。
実際また我
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