に巻くと、キリキリと糸を張って、一ツ星に颯と外《そ》れた。
「魔が来たよう。」
「天狗《てんぐ》が取ったあ。」
ワッと怯《おび》えて、小児《こども》たちの逃散る中を、団栗《どんぐり》の転がるように杢若は黒くなって、凧の影をどこまでも追掛《おっか》けた、その時から、行方知れず。
五日目のおなじ晩方に、骨ばかりの凧を提げて、やっぱり鳥居際にぼんやりと立っていた。天狗に攫《さら》われたという事である。
それから時々、三日、五日、多い時は半月ぐらい、月に一度、あるいは三月に二度ほどずつ、人間界に居なくなるのが例年で、いつか、そのあわれな母のそうした時も、杢若は町には居なかったのであった。
「どこへ行ってござったの。」
町の老人が問うのに答えて、
「実家《さと》へだよう。」
と、それ言うのである。この町からは、間に大川を一つ隔てた、山から山へ、峰続きを分入るに相違ない、魔の棲《す》むのはそこだと言うから。
「お実家《さと》はどこじゃ。どういう人が居さっしゃる。」
「実家の事かねえ、ははん。」
スポンと栓を抜く、件《くだん》の咳《せきばらい》を一つすると、これと同時に、鼻が尖《とが》り、眉が引釣《ひッつ》り、額の皺《しわ》が縊《くび》れるかと凹《へこ》むや、眼《まなこ》が光る。……歯が鳴り、舌が滑《なめらか》に赤くなって、滔々《とうとう》として弁舌鋭く、不思議に魔界の消息を洩《もら》す――これを聞いたものは、親たちも、祖父祖母《おおじおおば》も、その児《こ》、孫などには、決して話さなかった。
幼いものが、生意気に直接《じか》に打撞《ぶつか》る事がある。
「杢やい、実家《さと》はどこだ。」
「実家の事かい、ははん。」
や、もうその咳《せきばらい》で、小父さんのお医師《いしゃ》さんの、膚触《はだざわ》りの柔かい、冷《ひや》りとした手で、脈所をぎゅうと握られたほど、悚然《ぞっ》とするのに、たちまち鼻が尖《とが》り、眉が逆立ち、額の皺《しわ》が、ぴりぴりと蠢《うごめ》いて眼が血走る。……
聞くどころか、これに怯《おび》えて、ワッと遁《に》げる。
「実家はな。」
と背後《うしろ》から、蔽《おお》われかかって、小児《こども》の目には小山のごとく追って来る。
「御免なさい。」
「きゃっ!」
その時に限っては、杢若の耳が且つ動くと言う――嘘を吐《つ》け。
三
海、また湖へ、信心の投網《とあみ》を颯《さっ》と打って、水に光るもの、輝くものの、仏像、名剣を得たと言っても、売れない前《さき》には、その日一日の日当がどうなった、米は両につき三升、というのだから、かくのごとき杢若が番太郎小屋にただぼうとして活《い》きているだけでは、世の中が納まらぬ。
入費は、町中持合いとした処で、半ば白痴《はくち》で――たといそれが、実家《さと》と言う時、魔の魂が入替るとは言え――半ば狂人《きちがい》であるものを、肝心火の元の用心は何とする。……炭団《たどん》、埋火《うずみび》、榾《ほだ》、柴《しば》を焚《た》いて煙は揚げずとも、大切な事である。
方便な事には、杢若は切凧《きれだこ》の一件で、山に実家《さと》を持って以来、いまだかつて火食をしない。多くは果物を餌《えさ》とする。松葉を噛《か》めば、椎《しい》なんぞ葉までも頬張る。瓜《うり》の皮、西瓜《すいか》の種も差支えぬ。桃、栗、柿、大得意で、烏や鳶《とび》は、むしゃむしゃと裂いて鱠《なます》だし、蝸牛虫《まいまいつぶろ》やなめくじは刺身に扱う。春は若草、薺《なずな》、茅花《つばな》、つくつくしのお精進……蕪《かぶ》を噛《かじ》る。牛蒡《ごぼう》、人参は縦に啣《くわ》える。
この、秋はまたいつも、食通大得意、というものは、木の実時なり、実り頃、実家の土産の雉《きじ》、山鳥、小雀《こがら》、山雀《やまがら》、四十雀《しじゅうから》、色どりの色羽を、ばらばらと辻に撒《ま》き、廂《ひさし》に散らす。ただ、魚類に至っては、金魚も目高も決して食わぬ。
最も得意なのは、も一つ茸《きのこ》で、名も知らぬ、可恐《おそろ》しい、故郷《ふるさと》の峰谷の、蓬々《おどろおどろ》しい名の無い菌《くさびら》も、皮づつみの餡《あん》ころ餅ぼたぼたと覆《こぼ》すがごとく、袂《たもと》に襟に溢《あふ》れさして、山野の珍味に厭《あ》かせたまえる殿様が、これにばかりは、露のようなよだれを垂《たら》し、
「牛肉のひれや、人間の娘より、柔々《やわやわ》として膏《あぶら》が滴る……甘味《うまい》ぞのッ。」
は凄《すさま》じい。
が、かく菌《きのこ》を嗜《たしな》むせいだろうと人は言った、まだ杢若に不思議なのは、日南《ひなた》では、影形が薄ぼやけて、陰では、汚れたどろどろの衣《きもの》の縞目《しまめ》も判明《はっきり》
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