する。……委《くわ》しく言えば、昼は影法師に肖《に》ていて、夜は明《あきら》かなのであった。
さて、店を並べた、山茱萸《やまぐみ》、山葡萄《やまぶどう》のごときは、この老鋪《しにせ》には余り資本が掛《かか》らな過ぎて、恐らくお銭《あし》になるまいと考えたらしい。で、精一杯に売るものは。
「何だい、こりゃ!」
「美しい衣服《べべ》じゃがい。」
氏子は呆《あき》れもしない顔して、これは買いもせず、貰いもしないで、隣の木の実に小遣《こづかい》を出して、枝を蔓《つる》を提げるのを、じろじろと流眄《ながしめ》して、世に伯楽なし矣《い》、とソレ青天井を向いて、えへらえへらと嘲笑《あざわら》う……
その笑《わらい》が、日南《ひなた》に居て、蜘蛛の巣の影になるから、鳥が嘴《くちばし》を開けたか、猫が欠伸《あくび》をしたように、人間離れをして、笑の意味をなさないで、ぱくりとなる……
というもので、筵《むしろ》を並べて、笠を被《かぶ》って坐った、山茱萸、山葡萄の婦《おんな》どもが、件《くだん》のぼやけさ加減に何となく誘われて、この姿も、またどうやら太陽《ひ》の色に朧々《おぼろおぼろ》として見える。
蒼《あお》い空、薄雲よ。
人の形が、そうした霧の裡《なか》に薄いと、可怪《あやし》や、掠《かす》れて、明《あから》さまには見えない筈《はず》の、扱《しご》いて搦《から》めた縺《もつ》れ糸の、蜘蛛の囲《い》の幻影《まぼろし》が、幻影が。
真綿をスイと繰ったほどに判然と見えるのに、薄紅《うすべに》の蝶、浅葱《あさぎ》の蝶、青白い蝶、黄色な蝶、金糸銀糸や消え際の草葉螟蛉《くさばかげろう》、金亀虫《こがねむし》、蠅の、蒼蠅、赤蠅。
羽ばかり秋の蝉、蜩《ひぐらし》の身の経帷子《きょうかたびら》、いろいろの虫の死骸《しがい》ながら巣を引※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《ひんむし》って来たらしい。それ等が艶々《つやつや》と色に出る。
あれ見よ、その蜘蛛の囲に、ちらちらと水銀の散った玉のような露がきらめく……
この空の晴れたのに。――
四
これには仔細《しさい》がある。
神の氏子のこの数々の町に、やがて、あやかしのあろうとてか――その年、秋のこの祭礼《まつり》に限って、見馴《みな》れない、商人《あきゅうど》が、妙な、異《かわ》ったものを売った。
宮の入口に、新しい石の鳥居の前に立った、白い幟《のぼり》の下に店を出して、そこに鬻《ひさ》ぐは何等のものぞ。
河豚《ふぐ》の皮の水鉄砲。
蘆《あし》の軸に、黒斑《くろぶち》の皮を小袋に巻いたのを、握って離すと、スポイト仕掛けで、衝《つッ》と水が迸《ほとばし》る。
鰒《ふぐ》は多し、また壮《さかん》に膳《ぜん》に上す国で、魚市は言うにも及ばず、市内到る処の魚屋の店に、春となると、この怪《あやし》い魚《うお》を鬻《ひさ》がない処はない。
が、おかしな売方、一頭々々《ひとつひとつ》を、あの鰭《ひれ》の黄ばんだ、黒斑なのを、ずぼんと裏返しに、どろりと脂ぎって、ぬらぬらと白い腹を仰向《あおむ》けて並べて置く。
もしただ二つ並ぼうものなら、切落して生々しい女の乳房だ。……しかも真中《まんなか》に、ズキリと庖丁目を入れた処が、パクリと赤黒い口を開《あ》いて、西施《せいし》の腹の裂目を曝《さら》す……
中から、ずるずると引出した、長々とある百腸《ひゃくひろ》を、巻かして、束《つか》ねて、ぬるぬると重ねて、白腸《しろわた》、黄腸《きわた》と称《とな》えて売る。……あまつさえ、目の赤い親仁《おやじ》や、襤褸半纏《ぼろばんてん》の漢等《おのこら》、俗に――云う腸《わた》拾いが、出刃庖丁を斜に構えて、この腸《はらわた》を切売する。
待て、我が食通のごときは、これに較ぶれば処女の膳であろう。
要するに、市、町の人は、挙《こぞ》って、手足のない、女の白い胴中《どうなか》を筒切《つつぎり》にして食うらしい。
その皮の水鉄砲。小児《こども》は争って買競《かいきそ》って、手の腥《なまぐさ》いのを厭《いと》いなく、参詣《さんけい》群集の隙《すき》を見ては、シュッ。
「打上げ!」
「流星!」
と花火に擬《まね》て、縦横《たてよこ》や十文字。
いや、隙どころか、件《くだん》の杢若をば侮《あなど》って、その蜘蛛の巣の店を打った。
白玉の露はこれである。
その露の鏤《ちりば》むばかり、蜘蛛の囲に色|籠《こ》めて、いで膚寒《はださむ》き夕《ゆうべ》となんぬ。山から颪《おろ》す風一陣。
はや篝火《かがりび》の夜にこそ。
五
笛も、太鼓も音《ね》を絶えて、ただ御手洗《みたらし》の水の音。寂《しん》としてその夜《よ》更け行く。この宮の境内に、階《きざはし》の方《かた》から、
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