カタンカタン、三ツ四ツ七ツ足駄の歯の高響《たかひびき》。
 脊丈のほども惟《おも》わるる、あの百日紅《さるすべり》の樹の枝に、真黒《まっくろ》な立烏帽子《たてえぼし》、鈍色《にぶいろ》に黄を交えた練衣《ねりぎぬ》に、水色のさしぬきした神官の姿一体。社殿の雪洞《ぼんぼり》も早や影の届かぬ、暗夜《やみ》の中に顕《あらわ》れたのが、やや屈《かが》みなりに腰を捻《ひね》って、その百日紅の梢《こずえ》を覗《のぞ》いた、霧に朦朧《もうろう》と火が映って、ほんのりと薄紅《うすくれない》の射《さ》したのは、そこに焚落《たきおと》した篝火《かがりび》の残余《なごり》である。
 この明《あかり》で、白い襟、烏帽子の紐《ひも》の縹色《はないろ》なのがほのかに見える。渋紙した顔に黒痘痕《くろあばた》、塵《ちり》を飛ばしたようで、尖《とん》がった目の光、髪はげ、眉薄く、頬骨の張った、その顔容《かおかたち》を見ないでも、夜露ばかり雨のないのに、その高足駄の音で分る、本田|摂理《せつり》と申す、この宮の社司で……草履か高足駄の他《ほか》は、下駄を穿《は》かないお神官《かんぬし》。
 小児《こども》が社殿に遊ぶ時、摺違《すれちが》って通っても、じろりと一睨《ひとにら》みをくれるばかり。威あって容易《たやす》く口を利かぬ。それを可恐《こわ》くは思わぬが、この社司の一子に、時丸と云うのがあって、おなじ悪戯盛《いたずらざかり》であるから、ある時、大勢が軍《いくさ》ごっこの、番に当って、一子時丸が馬になった、叱《しっ》! 騎《の》った奴《やつ》がある。……で、廻廊を這《は》った。
 大喝一声、太鼓の皮の裂けた音して、
「無礼もの!」
 社務所を虎のごとく猛然として顕《あらわ》れたのは摂理の大人《うし》で。
「動!」と喚《わめ》くと、一子時丸の襟首を、長袖のまま引掴《ひッつか》み、壇を倒《さかしま》に引落し、ずるずると広前を、石の大鉢の許《もと》に掴《つか》み去って、いきなり衣帯を剥《は》いで裸にすると、天窓《あたま》から柄杓《ひしゃく》で浴びせた。
「塩を持て、塩を持て。」
 塩どころじゃない、百日紅の樹を前にした、社務所と別な住居《すまい》から、よちよち、臀《いしき》を横に振って、肥《ふと》った色白な大円髷《おおまるまげ》が、夢中で駈《か》けて来て、一子の水垢離《みずごり》を留めようとして、身を楯《たて》に逸《はや》るのを、仰向《あおむ》けに、ドンと蹴倒《けたお》いて、
「汚《けが》れものが、退《しさ》りおれ。――塩を持て、塩を持てい。」
 いや、小児《こども》等は一すくみ。
 あの顔一目で縮み上る……
 が、大人《うし》に道徳というはそぐわぬ。博学深識の従《じゅ》七位、花咲く霧に烏帽子は、大宮人の風情がある。
「火を、ようしめせよ、燠《おき》が散るぞよ。」
 と烏帽子を下向けに、その住居《すまい》へ声を懸けて、樹の下を出しなの時、
「雨はどうじゃ……ちと曇ったぞ。」と、密《そ》と、袖を捲《ま》きながら、紅白の旗のひらひらする、小松大松のあたりを見た。
「あの、大旗が濡れてはならぬが、降りもせまいかな。」
 と半ば呟《つぶや》き呟き、颯《さっ》と巻袖の笏《しゃく》を上げつつ、とこう、石の鳥居の彼方《かなた》なる、高き帆柱のごとき旗棹《はたざお》の空を仰ぎながら、カタリカタリと足駄を踏んで、斜めに木の鳥居に近づくと、や! 鼻の提灯《ちょうちん》、真赤《まっか》な猿の面《つら》、飴屋《あめや》一軒、犬も居《お》らぬに、杢若が明《あきら》かに店を張って、暗がりに、のほんとしている。
 馬鹿が拍手《かしわで》を拍《う》った。
「御前様《ごぜんさま》。」
「杢か。」
「ひひひひひ。」
「何をしておる。」
「少しも売れませんわい。」
「馬鹿が。」
 と夜陰に、一つ洞穴《ほら》を抜けるような乾《から》びた声の大音で、
「何を売るや。」
「美しい衣服《べべ》だがのう。」
「何?」
 暗《やみ》を見透かすようにすると、ものの静かさ、松の香が芬《ぷん》とする。

       六

 鼠色の石持《こくもち》、黒い袴《はかま》を穿《は》いた宮奴《みやっこ》が、百日紅《さるすべり》の下に影のごとく踞《うずく》まって、びしゃッびしゃッと、手桶《ておけ》を片手に、箒《ほうき》で水を打つのが見える、と……そこへ――
 あれあれ何じゃ、ばばばばばば、と赤く、かなで書いた字が宙に出て、白い四角な燈《あかり》が通る、三箇の人影、六本の草鞋《わらじ》の脚。
 燈《ともしび》一つに附着合《くッつきあ》って、スッと鳥居を潜《くぐ》って来たのは、三人|斉《ひと》しく山伏なり。白衣《びゃくえ》に白布の顱巻《はちまき》したが、面《おもて》こそは異形《いぎょう》なれ。丹塗《にぬり》の天狗に、緑青色《ろくしょういろ
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