「船からよ、白い手で招くだね。黒親仁は俺を負《おぶ》って、ざぶざぶと流《ながれ》を渡って、船に乗った。二人の婦人《おんな》は、柴に附着《くッつ》けて売られたっけ、毒だ言うて川下へ流されたのが遁《に》げて来ただね。
 ずっと川上へ行《ゆ》くと、そこらは濁らぬ。山奥の方は明《あかる》い月だ。真蒼《まっさお》な激《はげし》い流が、白く颯《さっ》と分れると、大《おおき》な蛇が迎いに来た、でないと船が、もうその上は小蛇の力で動かんでな。底を背負《しょ》って、一廻りまわって、船首《みよし》へ、鎌首を擡《もた》げて泳ぐ、竜頭の船と言うだとよ。俺は殿様だ。……
 大巌《おおいわ》の岸へ着くと、その鎌首で、親仁の頭をドンと敲《たた》いて、(お先へ。)だってよ、べろりと赤い舌を出して笑って谷へ隠れた。山路はぞろぞろと皆、お祭礼《まつり》の茸だね。坊主様《ぼんさま》も尼様も交ってよ、尼は大勢、びしょびしょびしょびしょと湿った所を、坊主様は、すたすたすたすた乾いた土を行《ゆ》く。湿地茸《しめじたけ》、木茸《きくらげ》、針茸《はりたけ》、革茸《こうたけ》、羊肚茸《いぐち》、白茸《しろたけ》、やあ、一杯だ一杯だ。」
 と筵《むしろ》の上を膝で刻んで、嬉しそうに、ニヤニヤして、
「初茸《はつたけ》なんか、親孝行で、夜遊びはいたしません、指を啣《くわ》えているだよ。……さあ、お姫様の踊がはじまる。」
 と、首を横に掉《ふ》って手を敲いて、
「お姫様も一人ではない。侍女《こしもと》は千人だ。女郎蜘蛛が蛇に乗っちゃ、ぞろぞろぞろぞろみんな衣裳を持って来ると、すっと巻いて、袖を開く。裾《すそ》を浮かすと、紅玉《ルビイ》に乳が透き、緑玉《エメラルド》に股《もも》が映る、金剛石《ダイヤモンド》に肩が輝く。薄紅《うすあか》い影、青い隈取《くまど》り、水晶のような可愛い目、珊瑚《さんご》の玉は唇よ。揃って、すっ、はらりと、すっ、袖をば、裳《すそ》をば、碧《あい》に靡《なび》かし、紫に颯と捌《さば》く、薄紅《うすべに》を飜《ひるがえ》す。
 笛が聞える、鼓が鳴る。ひゅうら、ひゅうら、ツテン、テン、おひゃら、ひゅうい、チテン、テン、ひゃあらひゃあら、トテン、テン。」
 廓《くるわ》のしらべか、松風か、ひゅうら、ひゅうら、ツテン、テン。あらず、天狗の囃子《はやし》であろう。杢若の声を遥《はるか》に呼交す。
「唄は、やしこばばの唄なんだよ、ひゅうらひゅうら、ツテン、テン、
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やしこばば、うばば、
うば、うば、うばば、
火を一つくれや……」
[#ここで字下げ終わり]
 と、唄うに連れて、囃子に連れて、少しずつ手足の科《しな》した、三個《みつ》のこの山伏が、腰を入れ、肩を撓《た》め、首を振って、踊出す。太刀、斧、弓矢に似もつかず、手足のこなしは、しなやかなものである。
 従七位が、首を廻《まわ》いて、笏《しゃく》を振って、臀《いしき》を廻いた。
 二本の幟《のぼり》はたはたと飜り、虚空を落す天狗風。
 蜘蛛の囲の虫|晃々《きらきら》と輝いて、鏘然《しょうぜん》、珠玉《たま》の響《ひびき》あり。
「幾干金《いくら》ですか。」
 般若の山伏がこう聞いた。その声の艶《えん》に媚《なまめ》かしいのを、神官は怪《あやし》んだが、やがて三人とも仮装を脱いで、裸にして縷無《るな》き雪の膚《はだ》を顕《あらわ》すのを見ると、いずれも、……血色うつくしき、肌理《きめ》細かなる婦人《おんな》である。
「銭《ぜに》ではないよ、みんな裸になれば一反ずつ遣《や》る。」
 価《あたい》を問われた時、杢若が蜘蛛の巣を指して、そう言ったからであった。
 裸体に、被《かず》いて、大旗の下を行く三人の姿は、神官の目に、実《げ》に、紅玉《ルビイ》、碧玉《サファイヤ》、金剛石《ダイヤモンド》、真珠、珊瑚を星のごとく鏤《ちりば》めた羅綾《らりょう》のごとく見えたのである。
 神官は高足駄で、よろよろとなって、鳥居を入ると、住居《すまい》へ行《ゆ》かず、階《きざはし》を上《あが》って拝殿に入った。が、額の下の高麗《こうらい》べりの畳の隅に、人形のようになって坐睡《いねむ》りをしていた、十四になる緋《ひ》の袴《はかま》の巫女《みこ》を、いきなり、引立てて、袴を脱がせ、衣《きぬ》を剥《は》いだ。……この巫女は、当年初に仕えたので、こうされるのが掟《おきて》だと思って自由になったそうである。
 宮奴《みやっこ》が仰天した、馬顔の、痩《や》せた、貧相な中年もので、かねて吶《どもり》であった。
「従、従、従、従、従七位、七位様、何《な》、何、何、何事!」
 笏《しゃく》で、ぴしゃりと胸を打って、
「退《すさ》りおろうぞ。」
 で、虫の死んだ蜘蛛の巣を、巫女の頭《かしら》に翳《かざ》したのである。
 かつて、山神
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