従七位は、白痴《ばか》の毒気を避けるがごとく、笏《しゃく》を廻して、二つ三つ這奴《しゃつ》の鼻の尖《ささ》を払いながら、
「ふん、で、そのおのれが婦《おなご》は、蜘蛛の巣を被《かぶ》って草原に寝ておるじゃな。」
「寝る時は裸体《はだか》だよ。」
「む、茸はな。」
「起きとっても裸体だにのう。――
粧飾《めか》す時に、薄《うっす》らと裸体に巻く宝ものの美《うつくし》い衣服《きもの》だよ。これは……」
「うむ、天の恵《めぐみ》は洪大じゃ。茸にもさて、被《き》るものをお授けなさるじゃな。」
「違うよ。――お姫様の、めしものを持て――侍女《こしもと》がそう言うだよ。」
「何じゃ、待女《こしもと》とは。」
「やっぱり、はあ、真白《まっしろ》な膚《はだ》に薄紅《うすべに》のさした紅茸だあね。おなじものでも位が違うだ。人間に、神主様も飴屋もあると同一《おなじ》でな。……従七位様は何も知らっしゃらねえ。あはは、松蕈《まつたけ》なんぞは正七位の御前様《ごぜんさま》だ。錦《にしき》の褥《しとね》で、のほんとして、お姫様を視《なが》めておるだ。」
「黙れ! 白痴《たわけ》!……と、こんなものじゃ。」
と従七位は、山伏どもを、じろじろと横目に掛けつつ、過言を叱する威を示して、
「で、で、その衣服《きもの》はどうじゃい。」
「ははん――姫様《ひいさま》のおめしもの持て――侍女《こしもと》がそう言うと、黒い所へ、黄色と紅条《あかすじ》の縞《しま》を持った女郎蜘蛛の肥えた奴が、両手で、へい、この金銀珠玉だや、それを、その織込んだ、透通る錦《にしき》を捧げて、赤棟蛇《やまかがし》と言うだね、燃える炎のような蛇の鱗《うろこ》へ、馬乗りに乗って、谷底から駈《か》けて来ると、蜘蛛も光れば蛇も光る。」
と物語る。君がいわゆる実家《さと》の話柄《こと》とて、喋舌《しゃべ》る杢若の目が光る。と、黒痘痕《くろあばた》の眼《まなこ》も輝き、天狗、般若、白狐の、六箇《むつ》の眼玉も赫《かッ》となる。
「まだ足りないで、燈《あかり》を――燈を、と細い声して言うと、土からも湧《わ》けば、大木の幹にも伝わる、土蜘蛛だ、朽木だ、山蛭《やまひる》だ、俺《おれ》が実家《さと》は祭礼《おまつり》の蒼い万燈、紫色の揃いの提灯、さいかち茨《いばら》の赤い山車《だし》だ。」
と言う……葉ながら散った、山葡萄《やまぶどう》と山茱萸《やまぐみ》の夜露が化けた風情にも、深山《みやま》の状《さま》が思わるる。
「いつでも俺は、気の向いた時、勝手にふらりと実家《さと》へ行《ゆ》くだが、今度は山から迎いが来たよ。祭礼《まつり》に就いてだ。この間、宵に大雨のどッとと降った夜さり、あの用心池の水溜《みずたまり》の所を通ると、掃溜《はきだめ》の前に、円い笠を着た黒いものが蹲踞《しゃが》んでいたがね、俺を見ると、ぬうと立って、すぽんすぽんと歩行《ある》き出して、雲の底に月のある、どしゃ降《ぶり》の中でな、時々、のほん、と立停《たちどま》っては俺が方をふり向いて見い見いするだ。頭からずぼりと黒い奴で、顔は分んねえだが、こっちを呼びそうにするから、その後へついて行《ゆ》くと、石の鳥居から曲って入って、こっちへ来ると見えなくなった――
俺《おら》あ家へ入ろうと思うと、向うの百日紅《さるすべり》の樹の下に立っている……」
指した方《かた》を、従七位が見返った時、もうそこに、宮奴《みやっこ》の影はなかった。
御手洗《みたらし》の音も途絶えて、時雨《しぐれ》のような川瀬が響く。……
八
「そのまんま消えたがのう。お社《やしろ》の柵の横手を、坂の方へ行ったらしいで、後へ、すたすた。坂の下口《おりくち》で気が附くと、驚《おど》かしやがらい、畜生めが。俺の袖の中から、皺《しわ》びた、いぼいぼのある蒼《あお》い顔を出して笑った。――山は御祭礼《おまつり》で、お迎いだ――とよう。……此奴《こやつ》はよ、大《でか》い蕈《きのこ》で、釣鐘蕈《つりがねだけ》と言うて、叩くとガーンと音のする、劫羅《こうら》経た親仁《おやじ》よ。……巫山戯《ふざけ》た爺《じじい》が、驚かしやがって、頭をコンとお見舞申そうと思ったりゃ、もう、すっこ抜けて、坂の中途の樫《かし》の木の下に雨宿りと澄ましてけつかる。
川端へ着くと、薄《うっす》らと月が出たよ。大川はいつもより幅が広い、霧で茫《ぼう》として海見たようだ。流《ながれ》の上の真中《まんなか》へな、小船が一|艘《そう》。――先刻《さっき》ここで木の実を売っておった婦《おんな》のような、丸い笠きた、白い女が二人乗って、川下から流を逆に泳いで通る、漕《こ》ぐじゃねえ。底蛇と言うて、川に居《お》る蛇が船に乗ッけて底を渡るだもの。船頭なんか、要るものかい、ははん。」
と高慢な笑い方で
前へ
次へ
全9ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング