同じことを四五|度《たび》した。
 いいもの望みで、木賃を恥じた外聞ではない。……巡礼の笈《おい》に国々の名所古跡の入ったほど、いろいろの影について廻った三年ぶりの馴染《なじみ》に逢う、今、現在、ここで逢うのに無事では済むまい、――お互に降って湧《わ》くような事があろう、と取越苦労の胸騒《むなさわぎ》がしたのであった。
「御免。」
 と思切って声を掛けた時、俊吉の手は格子を圧《おさ》えて、そして片足|遁構《にげがま》えで立っていた。
「今晩は。」
「はい、今晩は。」
 と平べったい、が切口上で、障子を半分開けたのを、孤家《ひとつや》の婆々《ばばあ》かと思うと、たぼの張った、脊の低い、年紀《とし》には似ないで、頸《くび》を塗った、浴衣の模様も大年増。
 これが女房とすぐに知れた。
 俊吉は、ト御神燈の灯を避《よ》けて、路地の暗い方へ衝《つッ》と身を引く。
 白粉《おしろい》のその頸を、ぬいと出額《おでこ》の下の、小慧《こざか》しげに、世智辛く光る金壺眼《かなつぼまなこ》で、じろりと見越して、
「今晩は。誰方様《どなたさま》で?」
「お宅に染次ってのは居《お》りますか。」
「はい居りますで
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