おろして、しっとりとある襟を掻合《かきあわ》す。この陽気なればこそ、蒸暑ければ必定雷鳴が加わるのであった。
 早や暮れかかって、ちらちらと点《とも》れる、灯の数ほど、ばらばら誰彼《たそがれ》の人通り。
 話声がふわふわと浮いて、大屋根から出た蝙蝠《こうもり》のように目前に幾つもちらつくと、柳も見えて、樹立《こだち》も見えて、濃く淡く墨になり行く。
 朝から内を出て、随分|遠路《とおみち》を掛けた男は、不思議に遥々《はるばる》と旅をして、広野の堂に、一人雨宿りをしたような気がして、里懐かしさ、人恋しさに堪えやらぬ。
「訪ねてみようか、この近処だ。」
 既に、駈込《かけこ》んで、一呼吸《ひといき》吐《つ》いた頃から、降籠《ふりこ》められた出前《でさき》の雨の心細さに、親類か、友達か、浅草辺に番傘一本、と思うと共に、ついそこに、目の前に、路地の出窓から、果敢《はか》ない顔を出して格子に縋《すが》って、此方《こなた》を差覗《さしのぞ》くような気がして、筋骨《すじぼね》も、ひしひしとしめつけられるばかり身に染みた、女の事が……こうした人懐しさにいや増《まさ》る。……
 ここで逢うのは、旅路|遥《
前へ 次へ
全42ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング