黙った。
 女中は、その太った躯《からだ》を揉《も》みこなすように、も一つ腰を屈《かが》めながら、
「それに、あの、お出先へお迎いに行《ゆ》くのなら、御朋輩《ごほうばい》の方に、御自分の事をお知らせ申さないように、内証《ないしょ》でと、くれぐれも、お託《ことづ》けでございましたものですから。」
「変だな、おかしいな、どこのものだか言ったかい。」
「ええ、御遠方。」
「遠い処か。」
「深川からとおっしゃいました。」
「ああ、襟巻なんか取らんでも可《い》い。……お帰り。」
 女中はポカンとして膨れた手袋の手を、提灯の柄ごと唇へ当てて、
「どういたしましょう。」
「……可《よ》し、直ぐ帰る。」
 座敷に引返《ひっかえ》そうとして、かたりと土間の下駄を踏んだが、ちょっと留まって、
「どんな風采《ふう》をしている。」と声を密《ひそ》めると。
「あの真紅《まっか》なお襦袢《じゅばん》で、お跣足《はだし》で。」

       三

「第一、それが目に着いたんだ、夜だし、……雪が白いから。」
 俊吉は、外套《がいとう》も無《な》しに、番傘で、帰途《かえり》を急ぐ中《うち》に、雪で足許《あしもと》も辿々《たどたど》しいに附けても、心も空も真白《まっしろ》に跣足《はだし》というのが身に染みる。
 ――しかし可訝《おか》しい、いや可訝しくはない、けれども妙だ、――あの時、そうだ、久しぶりに逢って、その逢ったのが、その晩ぎり……またわかれになった。――しかもあの時、思いがけない、うっかりした仕損《しそこな》いで、あの、お染《そめ》の、あの体《からだ》に、胸から膝へ血を浴びせるようなことをした。――
 ※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》せば、我が袖も、他《ひと》の垣根も雪である。
 ――去年の夏、たしか八月の末と思う、――
 その事のあった時、お染は白地|明石《あかし》に藍《あい》で子持縞《こもちじま》の羅《うすもの》を着ていたから、場所と云い、境遇も、年増の身で、小さな芸妓屋《げいしゃや》に丸抱えという、可哀《あわれ》な流《ながれ》にしがらみを掛けた袖も、花に、もみじに、霜にさえその時々の色を染める。九月と云えば、暗いのも、明《あかる》いのも、そこいら、……御神燈|並《なみ》に、絽《ろ》なり、お召《めし》なり単衣《ひとえもの》に衣更《きか》える筈《はず》。……しょぼしょ
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