月には蒼《あお》き俤立《おもかげだ》とう――ちらほらと松も見えて、いろいろの浪を縅《おど》した、鎧《よろい》の袖を※[#「さんずい+散」、125−12]《しぶき》に翳《かざ》す。
「あれを貴下《あなた》、お通りがかりに、御覧《ごろう》じはなさりませんか。」
と背向《うしろむ》きになって小腰を屈《かが》め、姥《うば》は七輪の炭をがさがさと火箸《ひばし》で直すと、薬缶《やかん》の尻が合点で、ちゃんと据わる。
「どの道貴下には御用はござりますまいなれど、大崩壊《おおくずれ》の突端《とっぱし》と睨《にら》み合いに、出張っておりますあの巌《いわ》を、」
と立直って指をさしたが、片手は据え腰を、えいさ、と抱きつつ、
「あれ、あれでござります。」
波が寄せて、あたかも風鈴が砕けた形に、ばらばらとその巌端《いわばな》に打《うち》かかる。
「あの、岩一枚、子産石《こうみいし》と申しまして、小さなのは細螺《きしゃご》、碁石《ごいし》ぐらい、頃あいの御供餅《おそなえ》ほどのから、大きなのになりますと、一人では持切れませぬようなのまで、こっとり円い、ちっと、平扁味《ひらたみ》のあります石が、どこからとなくころころと産れますでございます。
その平扁味な処が、恰好《かっこう》よく乗りますから、二つかさねて、お持仏なり、神棚へなり、お祭りになりますと、子の無い方が、いや、もう、年子にお出来なさりますと、申しますので。
随分お望みなさる方が多うございますが、当節では、人がせせこましくなりました。お前様、蓆戸《むしろど》の圧《おさ》えにも持って参れば、二人がかりで、沢庵石に荷《にな》って帰りますのさえござりますに因って、今が今と申して、早急には見当りませぬ。
随分と御遠方、わざわざ拾いにござらして、力を落す方がござりますので、こうやって近間に店を出しておりますから、朝晩|汐時《しおどき》を見ては拾っておきまして、お客様には、お土産かたがた、毎度|婆々《ばば》が御愛嬌《ごあいきょう》に進ぜるものでござりますから、つい人様が御存じで、葉山あたりから遊びにござります、書生さんなぞは、
(婆さん、子は要らんが、女親を一つ寄越《よこ》せ。)
なんて、おからかいなされまする。
それを見い見い知っていて、この嘉吉の狂人《きちがい》が、いかな事、私《わし》があげましたものを召食《めしあが》ろうとするのを見て、石じゃ、と云うのでござりますよ。」
四
「それではお婆さん楽隠居だ。孫子がさぞ大勢あんなさろうね。」
と小次郎法師は、話を聞き聞き、子産石の方《かた》を覗《のぞ》きたれば、面白や浪の、云うことも上の空。
トお茶|注《さ》しましょうと出しかけた、塗盆《ぬりぼん》を膝に伏せて、ふと黙って、姥《うば》は寂しそうに傾いたが、
「何のお前様、この年になりますまで、孫子の影も見はしませぬ。爺《じじい》殿と二人きりで、雨のさみしさ、行燈《あんどう》の薄寒さに、心細う、果敢《はか》ないにつけまして、小児衆《こどもしゅう》を欲しがるお方の、お心を察しますで、のう、子産石も一つ一つ、信心して進じます。
長い月日の事でござりますから、里の人達は私等《わしら》が事を、人に子だねを進ぜるで、二人が実を持たぬのじゃ、と云いますがの、今ではそれさえ本望で、せめてもの心ゆかしでござりますよ。」
とかごとがましい口ぶりだったが、柔和な顔に顰《ひそ》みも見えず、温順に莞爾《にっこり》して、
「御新造様《ごしんぞさま》がおありなさりますれば、御坊様《ごぼうさま》にも一かさね、子産石を進ぜましょうに……」
「とんでもない。この団子でも石になれば、それで村方|勧化《かんげ》でもしようけれど、あいにく三界に家なしです。
しかし今聞いたようでは、さぞお前さんがたは寂《さみ》しかろうね。」
「はい、はい、いえ、御坊様の前で申しましては、お追従《ついしょう》のようでござりますが、仏様は御方便、難有《ありがた》いことでござります。こうやって愛想気《あいそっけ》もない婆々《ばば》が許《とこ》でも、お休み下さりますお人たちに、お茶のお給仕をしておりますれば、何やかや賑《にぎ》やかで、世間話で、ついうかうかと日を暮しますでござります。
ああ、もしもし、」
と街道へ、
「休まっしゃりまし。」と呼びかけた。
車輪のごとき大《おおき》さの、紅白|段々《だんだら》の夏の蝶、河床《かわどこ》は草にかくれて、清水のあとの土に輝く、山際に翼を廻すは、白の脚絆《きゃはん》、草鞋穿《わらじばき》、かすりの単衣《ひとえ》のまくり手に、その看板の洋傘《こうもり》を、手拭《てぬぐい》持つ手に差翳《さしかざ》した、三十《みそぢ》ばかりの女房で。
あんぺら帽子を阿弥陀《あみだ》かぶり、縞《しま》の襯衣《しゃつ》の大膚脱《おおはだぬぎ》、赤い団扇《うちわ》を帯にさして、手甲《てっこう》、甲掛《こうがけ》厳重に、荷をかついで続くは亭主。
店から呼んだ姥の声に、女房がちょっと会釈する時、束髪《たばねがみ》の鬢《びん》が戦《そよ》いで、前《さき》を急ぐか、そのまま通る。
前帯をしゃんとした細腰を、廂《ひさし》にぶらさがるようにして、綻《ほころ》びた脇の下から、狂人《きちがい》の嘉吉は、きょろりと一目。
ふらふらと葭簀《よしず》を離れて、早や六七間行過ぎた、女房のあとを、すたすたと跣足《はだし》の砂路《すなみち》。
ほこりを黄色に、ばっと立てて、擦寄って、附着《くッつ》いたが、女房のその洋傘《こうもり》から伸《のし》かかって見越《みこし》入道。
「イヒヒ、イヒヒヒ、」
「これ、悪戯《いたずら》をするでないよ。」
と姥が爪立《つまだ》って窘《たしな》めたのと、笑声が、ほとんど一所に小次郎法師の耳に入った。
あたかもその時、亭主驚いたか高調子に、
「傘や洋傘《こうもり》の繕い!――洋傘《こうもりがさ》張替《はりかえ》繕い直し……」
蝉の鳴く音《ね》を貫いて、誰も通らぬ四辺《あたり》に響いた。
隙《すか》さず、この不気味な和郎を、女房から押隔てて、荷を真中《まんなか》へ振込むと、流眄《しりめ》に一|睨《にら》み、直ぐ、急足《いそぎあし》になるあとから、和郎は、のそのそ――大《おおき》な影を引いて続く。
「御覧《ごろう》じまし、あの通り困ったものでござります。」
法師も言葉なく見送るうち、沖から来るか、途絶えては、ずしりと崖を打つ音が、松風と行違いに、向うの山に三度ばかり浪の調べを通わすほどに、紅白|段々《だんだら》の洋傘《こうもり》は、小さく鞠《まり》のようになって、人の頭《かしら》が入交《いれま》ぜに、空へ突きながら行《ゆ》くかと見えて、一条道《ひとすじみち》のそこまでは一軒の苫屋《とまや》もない、彼方《かなた》大崩壊の腰を、点々《ぽつぽつ》。
五
「あれ、あの大崩壊《おおくずれ》の崖の前途《むこう》へ、皆が見えなくなりました。
ちょうど、あれを出ました、下の浜でござります。唯今《ただいま》の狂人《きちがい》が、酒に酔って打倒《ぶったお》れておりましたのは……はい、あれは嘉吉と申しまして、私等《わしら》秋谷在の、いけずな野郎でござりましての。
その飲んだくれます事、怠ける工合《ぐあい》、まともな人間から見ますれば、真《ほん》に正気の沙汰《さた》ではござりませなんだが、それでもどうやら人並に、正月はめでたがり、盆は忙しがりまして、別に気が触れた奴《やつ》ではござりません。いつでも村の御祭礼《おまつり》のように、遊ぶが病気《やまい》でござりましたが、この春頃に、何と発心をしましたか、自分が望みで、三浦三崎のさる酒問屋《さかどいや》へ、奉公をしたでござります。
つい夏の取着《とッつ》きに、御主人のいいつけで、清酒《すみざけ》をの、お前様、沢山《たんと》でもござりませぬ。三樽《みたる》ばかり船に積んで、船頭殿が一人、嘉吉めが上乗《うわの》りで、この葉山の小売|店《みせ》へ卸しに来たでござります。
葉山森戸などへ三崎の方から帰ります、この辺のお百姓や、漁師たち、顔を知ったものが、途中から、乗《のっ》けてくらっせえ、明いてる船じゃ、と渡場《わたしば》でも船つきでもござりませぬ。海岸の岩の上や、磯《いそ》の松の根方から、おおいおおい、と板東声《ばんどうごえ》で呼ばり立って、とうとう五人がとこ押込みましたは、以上七人になりました、よの。
どれもどれも、碌《ろく》でなしが、得手に帆じゃ。船は走る、口は辷《すべ》る、凪《なぎ》はよし、大話しをし草臥《くたぶ》れ、嘉吉めは胴の間《ま》の横木を枕に、踏反返《ふんぞりかえ》って、ぐうぐう高鼾《たかいびき》になったげにござります。
路に灘《なだ》はござりませぬが、樽の香が芬々《ぷんぷん》して、鮹《たこ》も浮きそうな凪の好《よ》さ。せめて船にでも酔いたい、と一人が串戯《じょうだん》に言い出しますと、何と一樽|賭《か》けまいか、飲むことは銘々が勝手次第、勝負の上から代銭を払えば可《い》い、面白い、遣《や》るべいじゃ。
煙管《きせる》の吸口ででも結構に樽へ穴を開ける徒《てあい》が、大びらに呑口切って、お前様、お船頭、弁当箱の空《あき》はなしか、といびつ形《なり》の切溜《きりだめ》を、大海でざぶりとゆすいで、その皮づつみに、せせり残しの、醤油かすを指のさきで嘗《な》めながら、まわしのみの煽《あお》っきり。
天下晴れて、財布の紐《ひも》を外すやら、胴巻を解くやらして、賭博《なぐさみ》をはじめますと、お船頭が黙ってはおりませぬ。」
「叱言《こごと》を云って留めましたか。さすがは船頭、字で書いても船の頭《かしら》だね。」
と真顔で法師の言うのを聞いて、姥《うば》は、いかさまな、その年少《としわか》で、出家でもしそうな人、とさも憐《あわれ》んだ趣で、
「まあ、お人の好《い》い。なるほど船頭を字に書けば、船の頭でござりましょ。そりゃもう船の頭だけに、極《きま》り処はちゃんと極って、間違いのない事をいたしました。」
「どうしたかね。」
「五人|徒《であい》が賽《さい》の目に並んでおります、真中《まんなか》へ割込んで、まず帆を下ろしたのでござります。」
と莞爾《にっこり》して顔を見る。
いささかもその意を得ないで、
「なぜだろうかね。」
「この追手じゃ、帆があっては、丁と云う間に葉山へ着く。ふわふわと海月《くらげ》泳ぎに、船を浮かせながらゆっくり遣るべい。
その事よ。四海波静かにて、波も動かぬ時津風、枝を鳴らさぬ御代《みよ》なれや、と勿体ない、祝言の小謡《こうたい》を、聞噛《ききかじ》りに謳《うた》う下から、勝負!とそれ、銭《おあし》の取遣《とりや》り。板子の下が地獄なら、上も修羅道《しゅらどう》でござります。」
「船頭も同類かい、何の事じゃ、」
と法師は新《あらた》になみなみとある茶碗を大切そうに両手で持って、苦笑いをするのであった。
「それはお前様、あの徒《てあい》と申しますものは、……まあ、海へ出て岸をば※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》して御覧《ごろう》じまし。巌《いわ》の窪みはどこもかしこも、賭博《ばくち》の壺《つぼ》に、鰒《あわび》の蓋《ふた》。蟹《かに》の穴でない処は、皆|意銭《あないち》のあとでござります。珍しい事も、不思議な事もないけれど、その時のは、はい、嘉吉に取っては、あやかしが着きましたじゃ。のう、便船《びんせん》しょう、便船しょう、と船を渚《なぎさ》へ引寄せては、巌端《いわばな》から、松の下から、飜然々々《ひらりひらり》と乗りましたのは、魔がさしたのでござりましたよ。」
六
「魅入られたようになりまして、ぐっすり寝込みました嘉吉の奴。浪の音は耳|馴《な》れても、磯近《いそぢか》へ舳《へさき》が廻って、松の風に揺り起され、肌寒うなって目を覚ましますと、そのお前様……体裁《ていたらく》。
山へ上《あが》ったというではなし、たかだか船の中の車座、そんな事は平気な野郎も、酒樽の三番叟《
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