身うちへ応《こた》えますで、道理こそ、一雨かかったと思いましたが。」
「お冷えなさるようなら、貴僧《あなた》、閉めましょう。」
「いいえ、蚊を疵《きず》にして五百両、夏の夜はこれが千金にも代えられません、かえって陽気の方がお宜《よろ》しい。」
と顔を見て、
「しかし、いかにもその時はお寂《さみ》しかったでございましょう。」
「実際、貴僧《あなた》、遥々《はるばる》と国を隔てた事を思い染みました。この果《はて》に故郷がある、と昼間三崎街道を通りつつ、考えなかったでもありませんが、場所と時刻だけに、また格別、古里が遠かったんです。」
「失礼ながら、御生国《ごしょうごく》は、」
「豊前《ぶぜん》の小倉《こくら》で、……葉越《はごし》と言います。」
葉越は姓で、渠《かれ》が名は明である。
「ああ、御遠方じゃ、」
と更《あらた》めて顔を見る目も、法師は我ながら遥々と海を視《なが》める思いがした。旅の窶《やつれ》が何となく、袖を圧して、その単衣《ひとえ》の縞柄《しまがら》にも顕《あらわ》れていたのであった。
「そして貴僧《あなた》は、」
「これは申後《もうしおく》れました、私《わたくし》は信州松本の在、至って山家ものでございます。」
「それじゃ、二人で、海山のお物語が出来ますね。」
と、明は優しく、人|懐《な》つこい。
二十二
「不思議な御縁で、何とも心嬉しく存じますが、なかなかお話相手にはなりません。ただ
承りまするだけで、それがしかし何より私《わたくし》には結構でございます。」
と僧は慇懃《いんぎん》である。
明は少し俯向《うつむ》いた。瘠《や》せた顋《あぎと》に襟狭く、
「そのお話と云いますのが、実に取留めのない事で、貴僧《あなた》の前では申すのもお恥かしい。」
「決して、さような事はございません。茶店の婆さんはこの邸に憑物《つきもの》の――ええ、ただ聞きましたばかりでも、成程、浮ばれそうもない、少《わか》い仏たちの回向《えこう》も頼む。ついては貴下《あなた》のお話も出ましてな。何か御覚悟がおありなさるそうで、熟《じっ》と辛抱をしてはござるが、怪しい事が重なるかして、お顔の色も、日ごとに悪い。
と申せば、庭先の柿の広葉が映るせいで、それで蒼白《あおじろ》く見えるんだから、気にするな、とおっしゃるが、お身体《からだ》も弱そうゆえに、老寄《としより》夫婦で一層のこと気にかかる。
昼の内は宰八なり、誰か、時々お伺いはいたしますが、この頃は気怯《きおく》れがして、それさえ不沙汰《ぶさた》がちじゃに因って、私によくお見舞い申してくれ、と云う、くれぐれもその託《ことづけ》でございました。が何か、最初の内、貴方《あなた》が御逗留《ごとうりゅう》というのに元気づいて、血気な村の若い者が、三人五人、夜食の惣菜ものの持寄り、一升徳利なんぞ提げて、お話|対手《あいて》、夜伽《よとぎ》はまだ穏《おだやか》な内、やがて、刃物切物、鉄砲持参、手覚えのあるのは、係羂《かけわな》に鼠の天麩羅《てんぷら》を仕掛けて、ぐびぐび飲みながら、夜更けに植込みを狙うなんという事がありますそうで?――
婆さんが話しました。」
「私は酒はいけず、対手は出来ませんから、皆さんの車座を、よく蚊帳の中から見ては寝ました。一時は随分|賑《にぎやか》でした。
まあ、入《いり》かわり立《たち》かわり、十日ばかり続いて、三人四人ずつ参りましたが、この頃は、ばったり来なくなりましたんです。」
「と申す事でございますな。ええ、時にその入り交《かわ》り立ち交りにつけて、何か怪しい、」
と言いかけて偶《ふ》と見返った、次の室《ま》と隔ての襖《ふすま》は、二枚だけ山のように、行燈《あんどう》の左右に峰を分けて、隣国《となりぐに》までは灯が届かぬ。
心も置かれ、後髪も引かれた状《さま》に、僧は首に気を入れて、ぐっと硬くなって、向直って、
「その怪しいものの方でも、手をかえ、品をかえ、怯《おびや》かす。――何かその……畳がひとりでに持上りますそうでありますが、まったくでございますかな。」
熟《じっ》と視《み》て聞くと、また俯向《うつむ》いて、
「ですから、お話しも極《きま》りが悪い、取留めのない事だと申すんです。」
「ははあ、」
と胸を引いて、僧は寛《くつろ》いだ状《さま》に打笑い、
「あるいはそうであろうかにも思いましたよ。では、ただ村のものが可《い》い加減な百物語。その実、嘘説《うそ》なのでございますので?」
「いいえ、それは事実です。畳は上《あが》りますとも。貴僧《あなた》、今にも動くかも分りません。」
「ええ!や、それは、」
と思わず、膝を辷《すべ》らした手で、はたはたと圧《おさ》えると、爪も立ちそうにない上床《じょうどこ》の固い事。
「これが、動くで
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