あんぎゃ》とは言いながら、気散じの旅の面白さ。蝶々|蜻蛉《とんぼ》の道連《みちづれ》には墨染の法衣《ころも》の袖の、発心の涙が乾いて、おのずから果敢《はか》ない浮世の露も忘れる。
 いつとなく、仏の御名《みな》を唱えるのにも遠ざかって、前刻《さっき》も、お前ね。
 実はここに来しなであった。秋谷明神と云う、その森の中の石段の下を通って、日向《ひなた》の麦|畠《ばたけ》へ差懸《さしかか》ると、この辺には余り見懸けぬ、十八九の色白な娘が一人、めりんす友染《ゆうぜん》の襷懸《たすきが》け、手拭《てぬぐい》を冠《かぶ》って畑に出ている。
 歩行《ある》きながら振返って、何か、ここらにおもしろい事もないか、と徒口《むだぐち》半分、檜笠《ひのきがさ》の下から頤《おとがい》を出して尋ねるとね。
 はい、浪打際に子産石《こうみいし》と云うのがござんす。これこれでここの名所、と土地《ところ》自慢も、優しく教えて、石段から真直《まっす》ぐに、畑中《はたなか》を切って出て見なさんせ、と指さしをしてくれました。
 いかに石が名所でも、男ばかりで児《こ》が出来るか。何と、姉《あね》や、と麦にかくれる島田を覗《のぞ》いて、天狗《てんぐ》わらいに冴《さ》えて来ました、面目もない不了簡《ふりょうけん》。
 嘉吉とかを聞くにつけても、よく気が違わずに済んだ事、とお話中に悚気《ぞっ》としたよ。
 黒門の別荘とやらの、話を聞くと引入れられて、気が沈んで、しんみりと真心から念仏の声が出ました。
 途中すがらもその若い人たちを的に仏名を唱えましょう。木賃の枕に目を瞑《ねむ》ったら、なお歴然《ありあり》、とその人たちの、姿も見えるような気がするから、いっそよく念仏が申されようと考える。
 聞かしておくれの、お婆さん、お前は善智識、と云うても可《よ》い、私は夜通しでも構わんが。
 あんまり身を入れて話をする――聞く――していたので、邪魔になっては、という遠慮か、四五人こっちを覗《のぞ》いては、素通《すどおり》をしたのがあります。
 近在の人と見える。風呂敷包を腰につけて、草履|穿《ば》きで裾をからげた、杖を突張《つッぱ》った、白髪《しらが》の婆さんの、お前さんとは知己《ちかづき》と見えるのが、向うから声をかけたっけ。お前さんが話に夢中で、気が着かなんだものだから、そのままほくほく去《い》ってしまった。
 私も聞
前へ 次へ
全95ページ中30ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング