の先を、しっかり白歯で噛《か》ましったが、お馴染《なじみ》じゃ、私《わし》が藪《やぶ》の下で待《まち》つけて、御新造様《ごしんぞさま》しっかりなさりまし、と釣台に縋《すが》ったれば、アイと、細い声で云うて莞爾《にっこり》と笑わしった。橋を渡って向うへ通る、暗《やみ》の晩の、榛《はん》の木の下あたり、蛍の数の宙へいかいことちらちらして、常夏《とこなつ》の花の俤《おもかげ》立《だ》つのが、貴方《あなた》の顔のあたりじゃ、と目を瞑《つぶ》って、おめでたを祈りましたに……」
声も寂しゅう、
「お寺の鐘が聞えました。」
「南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》、」
「お可哀相に、初産《ういざん》で、その晩、のう。
厭《いや》な事でござります。黒門へ着かしって、産所へ据えよう、としますとの、それ、出養生の嬢様の、お産の床と同一《おんなじ》じゃ。(ああ、青い顱巻《はちまき》をした方が、寝てでござんす、ちっと傍《わき》へ)と……まあ、難産の嫁御がそう言わしっけ。
其奴《そいつ》に、負けるな、押潰《おッつぶ》せ、と構わず褥《しとね》を据えましたが、夜露を受けたが悪かったか、もうお医者でも間に合わず。
(あなたも。……口惜《くやし》い、)と恍惚《うっとり》して、枕にひしと喰《くい》つかしって、うむと云うが最期で、の、身二ツになりはならしったが、産声も聞えず、両方ともそれなりけり。
余りの事に、取逆上《とりのぼ》せさしったものと見えまして、喜太郎様はその明方、裏の井戸へ身を投げてしまわしった。
井戸|替《がえ》もしたなれど、不気味じゃで、誰も、はい、その水を飲みたがりませぬ処から、井桁《いげた》も早や、青芒《あおすすき》にかくれましたよ。
七日に一度、十日に一度、仁右衛門親仁や、私《わし》がとこの宰八――少《わか》いものは初《はじめ》から恐ろしがって寄《よっ》つきませぬで――年役に出かけては、雨戸を明けたり、引窓を繰ったり、日も入れ、風も通したなれど、この間のその、のう、嘉吉が気が違いました一件の時から、いい年をしたものまで、黒門を向うの奥へ、木下闇《このしたやみ》を覗《のぞ》きますと、足が縮《すく》んで、一寸も前へ出はいたしませぬ。
簪《かんざし》の蒼い光った珠《たま》も、大方蛍であろう、などと、ひそひそ風説《うわさ》をします処へ、芋※[#「くさかんむり/更」、160−11]《ず
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