ゃとの。
(可《よ》かあねえだ。もの、理合《りあい》を言わねえ事にゃ、ハイ気が済みましねえ。お前様も明神様お知己《ちかづき》なら聞かっしゃい。老耆《おいぼれ》の手《てん》ぼう爺《じじい》に、若いものの酔漢《よいどれ》の介抱《やっかい》が何《あに》、出来べい。神様も分らねえ、こんな、くだま野郎を労ってやらっしゃる御慈悲い深い思召《おぼしめし》で、何でこれ、私等《わしら》婆様の中に、小児《こども》一人授けちゃくれさっしゃらぬ。それも可い、無い子だねなら断念《あきら》めべいが、提灯《ちょうちん》で火傷《やけど》をするのを、何で、黙って見てござった。私《わし》が手《てん》ぼうでせえなくば、おなじ車に結《ゆわ》えるちゅうて、こう、けんどんに、倒《さかしま》にゃ縛らねえだ。初対面のお前様見さっしゃる目に、えら俺《わし》が非道なようで、寝覚が悪い、)と顱巻《はちまき》を掉立《ふりた》てますと、のう。
(早く、お帰り、)と、継穂がないわの。
(いんにゃ、理を言わねえじゃ、)とまだ早や一概に捏《こ》ねようとしましたら……
(おいでよ、)と、お前様ね。
団扇《うちわ》で顔を隠さしったなり。背後《うしろ》へ雪のような手を伸《のば》して、荷車ごと爺《じい》どのを、推遣《おしや》るようにさっせえた。お手の指が白々と、こう輻《やぼね》の上で、糸車に、はい、綿屑がかかったげに、月の光で動いたらばの、ぐるぐるぐると輪が廻って、爺《じじい》どのの背《せなか》へ、荷車が、乗被《のっかぶ》さるではござりませぬか。」
「おおおお、」
と、法師は目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》って固唾《かたず》を呑む。
「吃驚《びっくり》亀の子、空へ何と、爺どのは手を泳がせて、自分の曳《ひ》いた荷車に、がらがら背後《うしろ》から押出されて、わい、というたぎり、一呼吸《ひといき》に村の取着《とッつ》き、あれから、この街道が鍋《なべ》づる形《なり》に曲ります、明神様、森の石段まで、ひとりでに駆出しましたげな。
もっとも見さっしゃります通り、道はなぞえに、向《むこう》へ低くはなりますが、下り坂と云う程ではなし、その疾《はや》いこと。一なだれに辷《すべ》ったようで、やっと石段の下で、うむ、とこたえて踏留まりますと、はずみのついた車めは、がたがたと石ころの上を空廻りして、躍ったげにござります。
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