しながら、つくづく不平らしく、海に向って、高慢な舌打して、
「ああ、退屈だ。」
と呟《つぶや》くと、頭上の崖《がけ》の胴中《どうなか》から、異声を放って、
「親孝行でもしろ――」と喚《わめ》いた。
ために、その少年は太《いた》く煩い附いたと云う。
そんなこんなで、そこが魔所だの風説は、近頃一層甚しくなって、知らずに大崩壊《おおくずれ》へ上《のぼ》るのを、土地の者が見着けると、百姓は鍬《くわ》を杖支《つえつ》き、船頭は舳《みよし》に立って、下りろ、危い、と声を懸ける。
実際魔所でなくとも、大崩壊の絶頂は薬研《やげん》を俯向《うつむ》けに伏せたようで、跨《また》ぐと鐙《あぶみ》の無いばかり。馬の背に立つ巌《いわお》、狭く鋭く、踵《くびす》から、爪先《つまさき》から、ずかり中窪《なかくぼ》に削った断崖《がけ》の、見下ろす麓《ふもと》の白浪に、揺落《ゆりおと》さるる思《おもい》がある。
さて一方は長者園の渚《なぎさ》へは、浦の波が、静《しずか》に展《ひら》いて、忙《せわ》しくしかも長閑《のどか》に、鶏《とり》の羽《は》たたく音がするのに、ただ切立《きった》ての巌《いわ》一枚、一方は太平洋の大濤《おおなみ》が、牛の吼《ほ》ゆるがごとき声して、緩《ゆるや》かにしかも凄《すさま》じく、うう、おお、と呻《うな》って、三崎街道の外浜に大|畝《うね》りを打つのである。
右から左へ、わずかに瞳を動かすさえ、杜若《かきつばた》咲く八ツ橋と、月の武蔵野ほどに趣が激変して、浦には白帆の鴎《かもめ》が舞い、沖を黒煙《くろけむり》の竜が奔《はし》る。
これだけでも眩《めくるめ》くばかりなるに、蹈《ふ》む足許《あしもと》は、岩のその剣《つるぎ》の刃を渡るよう。取縋《とりすが》る松の枝の、海を分けて、種々《いろいろ》の波の調べの懸《かか》るのも、人が縋れば根が揺れて、攀上《よじのぼ》った喘《あえ》ぎも留《や》まぬに、汗を冷《つめと》うする風が絶えぬ。
さればとて、これがためにその景勝を傷《きずつ》けてはならぬ。大崩壊《おおくずれ》の巌《いわお》の膚《はだ》は、春は紫に、夏は緑、秋|紅《くれない》に、冬は黄に、藤を編み、蔦《つた》を絡《まと》い、鼓子花《ひるがお》も咲き、竜胆《りんどう》も咲き、尾花が靡《なび》けば月も射《さ》す。いで、紺青《こんじょう》の波を蹈んで、水天の間に糸のごとき
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