に口説く、皆キウモンの名に迷へる也。長歎して別に五百を奢る。
垣に朝顔、藤豆を植ゑ、蓼を海棠《かいだう》の下《もと》に、蝦夷菊唐黍を茶畑の前に、五本《いつもと》三本《みもと》培《つちか》ひつ。彼《か》の名にしおふシヽデンは庭の一段高き処、飛石の傍《かたへ》に植ゑたり。此処に予《あらかじ》め遊蝶花、長命菊、金盞花《きんせんくわ》、縁日名代の豪のもの、白、紅、絞、濃紫《こむらさき》、今を盛に咲競ふ、中にも白き花紫雲英《はなげんげ》、一株方五尺に蔓《はびこ》り、葉の大なること掌《たなそこ》の如く、茎の長きこと五寸、台《うてな》を頂く日に二十を下らず、蓋《けだ》し、春寒き朝、めづらしき早起の折から、女形とともに道芝《みちしば》の霜を分けてお濠《ほり》の土手より得たるもの、根を掘らんとして、袂に火箸を忍ばせしを、羽織の袖の破目《やぶれめ》より、思がけず路に落して、大《おほい》に台所道具に事欠《ことか》きし、経営惨憺|仇《あだ》ならず、心なき草も、あはれとや繁りけん。シヽデンキウモンの苗なるもの、二日三日の中《うち》に、此の紫雲英の葉がくれに見えずなりぬ。
茘枝の小さきも活々《いき/\》して、藤豆の如き早や蔓の端も見え初《そ》むるを、徒《いたづら》に名の大《おほい》にして、其の実の小なる、葉の形さへ定《さだか》ならず。二筋三筋すく/\と延びたるは、荒れたる庭に※[#「※」は「てへんに劣」、第3水準1−84−77、215−15]《むし》り果つべくも覚えぬが、彼処《かしこ》に消えて此処に顕れけむ、其処に又彼処に、シヽデンに似たる雑草数ふるに尽きず、弟はもとより、はじめは殊《こと》に心を籠めて、水などやりたる秋さんさへ、いひ効《がひ》なきに呆れ果てて、罵倒すること斜《なゝめ》ならず。草が蔓るは、又してもキウモンならんと、以来|然《さ》もなくて唯《たゞ》呼声のいかめしき渾名《あだな》となりて、今日は御馳走があるよ、といふ時、弟も秋さんも、蔭で呟いて、シヽデンかとばかりなりけり。
日を経《ふ》るまゝに何事も言はずなりし、不図《ふと》其のシヽデンの菜《さい》に昼食《ちうじき》の後《のち》、庭を視《なが》むることありしに、雲の如き紫雲英に交りて小さき薄紫の花二ツ咲出でたり。立寄りて草を分けて見れば、形|菫《すみれ》よりは大《おほい》ならず、六|瓣《べん》にして、其薄紫の花片《はなびら》に濃き紫の筋あり、蕋《しべ》の色黄に、茎は糸より細く、葉は水仙に似て浅緑柔かう、手にせば消えなむばかりなり。苗なりし頃より見覚えつ、紛ふべくもあらぬシヽデンなれば、英雄人を欺《あざ》むけども、苗売我を愚になさず、と皆打寄りて、土ながら根を掘りて鉢に植ゑ、水やりて縁に差置き、とみかう見るうち、品も一段打上りて、縁日ものの比にあらず、夜露に濡れしが、翌日は花また二ツ咲きぬ、いづれも入相《いりあひ》の頃しぼみて東雲《しのゝめ》に別なるが開く、三朝《みあさ》にして四日目の昼頃見れば花唯一ツのみ、葉もしをれ、根も乾きて、昨日には似ぬ風情《ふぜい》、咲くべき蕾も探し当てず、然ればこそシヽデンなりけれ、申訳だけに咲いたわと、すげなくも謂ひけるよ。
翌朝《あくるあさ》、例の秋さん、二階へ駈上る跫音高く、朝寝の枕を叩きて、起きよ、心なき人、人心なく花|却《かへ》つて情あり、昨《さく》、冷かにいひおとしめしを恥ぢたりけん、シヽデンの花、開くこと、今朝|一時《いつとき》に十一と、慌《あわたゞ》しく起出でて鉢を抱《いだ》けば花菫《はなすみれ》野山に満ちたる装《よそほひ》なり。見つゝ思はず悚然《ぞつ》として、いしくも咲いたり、可愛《かはゆ》き花、薊《あざみ》、鬼百合《おにゆり》の猛《たけ》くんば、我が言《ことば》に憤りもせめ、姿形のしをらしさにつけ、汝優しき心より、百年《もゝとせ》の齢《よはひ》を捧げて、一朝の盛を見するならずや、いかばかり、我を怨みなんと、あはれさ言ふべくもあらず。漱《くちそゝ》ぎ果てつ、書斎なる小机に据ゑて、人なき時、端然として、失言を謝す。然《しか》も夕《ゆふべ》にはしをれんもの、願くば、葉の命だに久しかれ、荒き風にも当つべきか。なほ心安からず、みづから我が心なかりしを悔いたりしに、次の朝に至りて更に十三の花咲けり、嬉しさいふべからず、やよや人々又シヽデンといふことなかれ、我が家のものいふ花ぞと、いとせめて愛《め》であへりし、其の日、日曜にて宙外《ちうぐわい》君立寄らる。
巻莨《まきたばこ》の手を控へ掌《たなそこ》に葉を撫して、何《なん》ぞ主人のむくつけき、何ぞ此の花のしをらしきと。主人大いに恐縮して仮名の名を聞けば氏も知らずと言はる。忘れたり、斯道《しだう》に曙山《しよざん》君ありけるを、花一ツ採りて懐にせんも惜《をし》く、よく色を見、葉を覚え、あくる日、四丁目の
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング