《きゝあは》せたが、居合《ゐあ》はせた婦人連《ふじんれん》が亦《また》誰《たれ》も知《し》らぬ。其《そ》の癖《くせ》、佳薫《いゝかをり》のする花《はな》だと云《い》つて、小《ちひ》さな枝《えだ》ながら硝子杯《コツプ》に插《さ》して居《ゐ》たのがあつた。九州《きうしう》の猿《さる》が狙《ねら》ふやうな褄《つま》の媚《なまめ》かしい姿《すがた》をしても、下枝《したえだ》までも屆《とゞ》くまい。小鳥《ことり》の啄《ついば》んで落《おと》したのを通《とほ》りがかりに拾《ひろ》つて來《き》たものであらう。
「お乳《ちゝ》のやうですわ。」
一人《ひとり》の處女《しよぢよ》が然《さ》う云《い》つた。
成程《なるほど》、近々《ちか/″\》と見《み》ると、白《しろ》い小《ちひ》さな花《はな》の、薄《うつす》りと色着《いろづ》いたのが一《ひと》ツ一《ひと》ツ、美《うつくし》い乳首《ちゝくび》のやうな形《かたち》に見《み》えた。
却説《さて》、日《ひ》が暮《く》れて、其《そ》の歸途《かへり》である。
私《わたし》たちは七丁目《なゝちやうめ》の終點《しうてん》から乘《の》つて赤坂《あかさか》の方《はう》へ歸《かへ》つて來《き》た……あの間《あひだ》の電車《でんしや》は然《さ》して込合《こみあ》ふ程《ほど》では無《な》いのに、空《そら》怪《あや》しく雲脚《くもあし》が低《ひく》く下《さが》つて、今《いま》にも一降《ひとふり》來《き》さうだつたので、人通《ひとどほ》りが慌《あわたゞ》しく、一町場《ひとちやうば》二町場《ふたちやうば》、近處《きんじよ》へ用《よう》たしの分《ぶん》も便《たよ》つたらしい、停留場《ていりうぢやう》毎《ごと》に乘人《のりて》の數《かず》が多《おほ》かつた。
で、何時《いつ》何處《どこ》から乘組《のりく》んだか、つい、それは知《し》らなかつたが、丁《ちやう》ど私《わたし》たちの並《なら》んで掛《か》けた向《むか》う側《がは》――墓地《ぼち》とは反對《はんたい》――の處《ところ》に、二十三四の色《いろ》の白《しろ》い婦人《ふじん》が居《ゐ》る……
先《ま》づ、色《いろ》の白《しろ》い婦《をんな》と云《い》はう、が、雪《ゆき》なす白《しろ》さ、冷《つめた》さではない。薄櫻《うすざくら》の影《かげ》がさす、朧《おぼろ》に香《にほ》ふ裝《よそほひ》である。……こんなのこそ、膚《はだへ》と云《い》ふより、不躾《ぶしつけ》ながら肉《にく》と言《い》はう。其《その》胸《むね》は、合歡《ねむ》の花《はな》が雫《しづく》しさうにほんのりと露《あらは》である。
藍地《あゐぢ》に紺《こん》の立絞《たてしぼり》の浴衣《ゆかた》を唯《たゞ》一重《ひとへ》、絲《いと》ばかりの紅《くれなゐ》も見《み》せず素膚《すはだ》に着《き》た。襟《えり》をなぞへに膨《ふつく》りと乳《ちゝ》を劃《くぎ》つて、衣《きぬ》が青《あを》い。青《あを》いのが葉《は》に見《み》えて、先刻《さつき》の白《しろ》い花《はな》が俤立《おもかげだ》つ……撫肩《なでがた》をたゆげに落《おと》して、すらりと長《なが》く膝《ひざ》の上《うへ》へ、和々《やは/\》と重量《おもみ》を持《も》たして、二《に》の腕《うで》を撓《しな》やかに抱《だ》いたのが、其《それ》が嬰兒《あかんぼ》で、仰向《あをむ》けに寢《ね》た顏《かほ》へ、白《しろ》い帽子《ばうし》を掛《か》けてある。寢顏《ねがほ》に電燈《でんとう》を厭《いと》つたものであらう。嬰兒《あかんぼ》の顏《かほ》は見《み》えなかつた、だけ其《それ》だけ、懸念《けねん》と云《い》へば懸念《けねん》なので、工學士《こうがくし》が――鯉《こひ》か鼈《すつぽん》か、と云《い》つたのは此《これ》であるが……
此《こ》の媚《なま》めいた胸《むね》のぬしは、顏立《かほだ》ちも際立《きはだ》つて美《うつく》しかつた。鼻筋《はなすぢ》の象牙彫《ざうげぼり》のやうにつんとしたのが難《なん》を言《い》へば強過《つよす》ぎる……かはりには目《め》を恍惚《うつとり》と、何《なに》か物思《ものおも》ふ體《てい》に仰向《あをむ》いた、細面《ほそおも》が引緊《ひきしま》つて、口許《くちもと》とともに人品《じんぴん》を崩《くづ》さないで且《か》つ威《ゐ》がある……其《そ》の顏《かほ》だちが帶《おび》よりも、きりゝと細腰《ほそごし》を緊《し》めて居《ゐ》た。面《おもて》で緊《し》めた姿《すがた》である。皓齒《しらは》の一《ひと》つも莞爾《につこり》と綻《ほころ》びたら、はらりと解《と》けて、帶《おび》も浴衣《ゆかた》も其《そ》のまゝ消《き》えて、膚《はだ》の白《しろ》い色《いろ》が颯《さつ》と簇《むらが》つて咲《さ》かう。霞《かすみ》は花《はな》を包《つゝ》むと云《い》ふが
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