《わが》まゝの佗《わび》だと言つて、麻袋《あさぶくろ》を、烏帽子《えばうし》入《い》れたまゝ雪枝《ゆきえ》に譲《ゆづ》つた。
 さて、温泉宿《ゆのやど》に帰《かへ》つたが、人々《ひと/″\》は、雪枝《ゆきえ》の顔《かほ》の色《いろ》の清々《すが/\》しいのを視《なが》めて、はじめて渡《わた》した一通《いつつう》の書信《しよしん》がある。
 途中《とちゆう》より、としてお浦《うら》の名《な》で、二人《ふたり》が結婚《けつこん》を為《し》ない前《まへ》から、契《ちぎ》りを交《か》はした少年《せうねん》の学生《がくせい》が一人《ひとり》ある。此《こ》の度《たび》の密月《みつゞき》の旅《たび》の第一夜《だいいちや》から、附絡《つきまと》ふて、隣《となり》の部屋《へや》に何時《いつ》も宿《やど》る……其《それ》さへも恐《おそ》ろしいのに、つひ言葉《ことば》のはづみから、双六谷《すごろくだに》に分入《わけい》つて、二世《にせ》の契《ちぎり》を賭《か》けやうとする、聞《き》けば名高《なだか》い神秘《しんぴ》の山奥《やまおく》、迚《とて》も罪深《つみふか》さに堪《た》へないため、諸《もろ》ともに身《み》を隠《かく》す、とあつた。
 渠《かれ》は神色《しんしよく》自若《じゞやく》とした。
 あはれ、神《かみ》は、香村雪枝《かむらゆきえ》を守《まも》らせ給《たま》ふ!
 然《さ》うで無《な》いと、恁《か》くまでに恋慕《こひした》つた女《をんな》、気《き》が狂《くる》はずには居《ゐ》なかつたのである。
 東京《とうきやう》に帰《かへ》つて後《のち》、呼《よ》べば応《こた》へて顕《あら》はるゝ、双六谷《すごろくだに》の美女《たをやめ》の像《ざう》を、唯《たゞ》目《め》を開《ひら》いて見《み》るやうに、すら/\と刻《きざ》み得《え》た。麻袋《あさふくろ》の鑿《のみ》小刀《こがたな》は、如意《によい》自在《じざい》に働《はたら》く。
 彫像《てうざう》の成《な》つた時《とき》、北《きた》の一天《いつてん》、俄《には》かに黒雲《くろくも》を捲起《まきお》こして月夜《つきよ》ながら霰《あられ》を飛《と》ばした。
 年《とし》経《た》つて、再《ふたゝ》び双六《すごろく》の温泉《をんせん》に遊《あそ》んだ時《とき》、最《も》う老爺《ぢい》は居《ゐ》なかつた。が、城址《しろあと》の濠《ほり》には船《ふね》があつて、鷺《さぎ》ではない、老爺《ぢい》の姿《すがた》が、木彫《きぼり》に成《な》つて立《た》つのを見《み》て、渠《かれ》は蘆間《あしま》に手《て》を支《つか》えて、やがて天守《てんしゆ》を拝《はい》した。
 船《ふね》に乗《の》れば、すら/\と漕《こ》いで出《で》て、焼《や》けない処《どころ》か、もとの位置《ゐち》へすつと戻《もど》る……伝《つた》へ聞《き》く諾亜《ノア》の船《ふね》の如《ごと》きものであらう。



底本:「新編 泉 鏡花集 第八巻」岩波書店
   2004(平成16)年1月7日第1刷発行
底本の親本:「神鑿」文泉堂書房
   1909(明治42)年9月16日
初出:「神鑿」文泉堂書房
   1909(明治42)年9月16日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※「をんせん/おんせん」「城趾/城址」「魚《うを》/魚《いを》」「水底《みずそこ》/水底《みづそこ》」「灰《はひ》/灰《はい》」「鎗《やり》ヶ|嶽《だけ》/槍《やり》ヶ|嶽《だけ》」「烏帽子《えばうし》/烏帽子《えぼうし》」の混在は底本の通りです。
入力:砂場清隆
校正:門田裕志
2007年8月12日作成
青空文庫作成ファイル:
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