》のやうに、魅《つま》まれて路《みち》を迷《まよ》つたらうか。』
『然《さ》うでもござりやすめえ、奥様《おくさま》は、其《そ》のお前様《めえさま》を捜《さが》し歩行《ある》いて、其《それ》で未《ま》だ、お帰《かへ》りが無《な》いのでござりやせうで、天狗様《てんぐさま》も二人一所《ふたりいつしよ》に攫《さら》はつしやることは滅多《めつた》にねえ事《こと》でござります。今《いま》にお帰《かへ》りに成《な》るでござりやしやう。宿《やど》でも心配《しんぱい》をして居《を》りますで、夜一夜《よつぴて》寐《ね》ねえで捜《さが》しますで、お前様《めえさま》は、まあ、休《やす》まつしやりましたが可《よ》うござります。』
気《き》が気《き》では無《な》い。一所《いつしよ》に捜《さが》しに出《で》かけやうと言《い》ふと、いや/\山坂《やまさか》不案内《ふあんない》な客人《きやくじん》が、暗《やみ》の夜路《よみち》ぢや、崖《がけ》だ、谷《たに》だで、却《かへ》つて足手絡《あしてまと》ひに成《な》る。……案内者《あんないしや》に雇《やと》はれるものが、何《なに》も知《し》らない前《まへ》に道案内《みちあんない》を為《し》たと言《い》ふも何《なに》かの縁《えん》と思《おも》ふ。人一倍《ひといちばい》精出《せいだ》して捜《さが》さうから静《しづ》かに休《やす》め、と頼母《たのも》しく言《い》つて、すぐに又《また》下階《した》へ下《お》りた。
一時《ひとしきり》騒々《さう/″\》しかつたのが、寂寞《ひつそり》ばつたりして平時《いつも》より余計《よけい》に寂《さび》しく夜《よ》が更《ふ》ける……さあ、一分《いつぷん》、一秒《いちびやう》、血《ち》が冷《ひ》え、骨《ほね》が刻《きざ》まれる思《おも》ひ。時《とき》が経《た》てば経《た》つだけ、それだけお浦《うら》の帰《かへ》る望《のぞ》みが無《な》くなると言《い》つた勘定《かんぢやう》。九時《くじ》が十時《じふじ》、十一時《じふいちじ》を過《す》ぎても音沙汰《おとざた》が無《な》い。時々《とき/″\》、廊下《らうか》を往通《ゆきかよ》ふ女中《ぢよちゆう》が、通《とほ》りすがりに、
『何《ど》う遊《あそ》ばしたのでございませう、』
『うむ、』
『御心配《ごしんぱい》でございます。』
『あゝ、』
――返答《へんたふ》が出来《でき》ないで、溜息《ためいき》を吐《つ》く顔《かほ》を見《み》て、遁《に》げるやうに二三人《にさんにん》摺《す》り抜《ぬ》けた。
やがて十二時《じふにじ》を打《う》つた。女中《ぢよちゆう》が床《とこ》を取《と》りに来《き》て、一《ひと》つ伸《の》べて、二《ふた》つ並《なら》べやうと為《し》たので、
『そりや可《よ》からう、』と言《い》つた時《とき》は我《われ》ながら変《へん》な声《こゑ》だと思《おも》つた。……勿論《もちろん》寐《ね》もせず、枕元《まくらもと》へ例《れい》の紫縞《むらさきじま》のを摺《ず》らして、落着《おちつ》かない立膝《たてひざ》で何《なに》を聞《き》くとも無《な》く耳《みゝ》を澄《す》ますと、谿河《たにがは》の流《ながれ》がざつと響《ひゞ》くのが、落《お》ちた、流《なが》れた、打当《ぶちあ》てた、岩《いは》に砕《くだ》けた、死《しん》だ――と聞《き》こえる。
『あゝつ、』と忌《いま》はしさに手《て》で払《はら》つて、坐《すは》り直《なほ》して其処等《そこら》を※[#「目+旬」、第3水準1−88−80]《みまは》す、と密《そつ》と座敷《ざしき》を覗《のぞ》いた女中《ぢよちゆう》が、黙《だま》つて、スーツと障子《しやうじ》を閉《し》めた。――夜《よ》が更《ふ》けて寒《さむ》からうと、深切《しんせつ》に為《し》たに違《ちがひ》ないが、未練《みれん》らしい諦《あきら》めろ、と愛想尽《あいさうつか》しを為《さ》れたやうで、赫《くわつ》と顔《かほ》が熱《あつ》くなる。
背中《せなか》がぞつと寒《さむ》く成《な》る……背後《うしろ》を見《み》る、と床《とこ》の間《ま》に袖畳《そでだゝ》みをした女《をんな》の羽織《はおり》、わがねた扱帯《しごき》、何《なに》となく色《いろ》が冷《つめた》く成《な》つて紀念《かたみ》のやうに見《み》えて来《き》た、――持主《もちぬし》が亡《な》くなると、却《かへ》つてそんなものが、手《て》ん手《で》に活《い》きて来《き》たやうに思《おも》はれて、一寸《ちよいと》触《さは》るのも憚《はゞ》かられる。
何処《どこ》か、しゆつ/\と風《かぜ》が通《とほ》る……
十七
「うら悲《かな》しい、心細《こゝろぼそ》い、可厭《いや》な声《こゑ》で、
『お客様《きやくさま》あゝ、』
『奥様《おくさま》、』と呼《よ》ぶのが、山颪《やまおろし》の風
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