《かぜ》に響《ひゞ》いて、耳《みゝ》へカーンと谺《こだま》を返《かへ》してズヽンと脳《なう》を抉《えぐ》る。
『お客様《きやくさま》、』
『奥方様《おくがたさま》。』……は情《なさけ》ない。少《すこ》し裏山《うらやま》へ近《ちか》く成《な》つたと思《おも》ふと、女《をんな》の声《こゑ》が交《まじ》つて、
『奥様《おくさま》やあ、』と呼《よ》んだ。ヒイと之《これ》が悲鳴《ひめい》を上《あ》げるやうで、家内《かない》が絞殺《しめころ》される叫《さけ》びに聞《き》こえる、最《も》う堪《たま》りません。
 廊下《らうか》を跣足《はだし》で出《で》て、階子段《はしごだん》の上《うへ》から倒《さかさま》に帳場《ちやうば》を覗《のぞ》いて、
『御主人《ごしゆじん》、御主人《ごしゆじん》、』
と、海《うみ》が凪《な》いだ後《あと》を、ぶる/\震《ふる》へる波《なみ》のやうな畳《たゝみ》の上《うへ》に、男《をとこ》だか女《をんな》だか、二人《ふたり》ばかり打上《うちあ》げられた躰《てい》で、黒《くろ》く成《な》つて突伏《つゝぷ》した真中《まんなか》に、手酌《てじやく》でチビリ/\飲《や》つて居《ゐ》た亭主《ていしゆ》が、むつくり頭《あたま》を上《あ》げて、
『まだ御寐《およ》りませんかな。』と言《い》ひ/\四五段《しごだん》上《のぼ》つた、中途《ちゆうと》の上下《うへした》で欄干《てすり》越《ごし》に顔《かほ》を合《あ》はせた。
『又《また》入《い》れ替《かは》つて出《で》てくれたのかね、あゝ言《い》つて呼《よ》んでるのは、』
『へい、否《いゝえ》、山深《やまふか》く参《まゐ》つたのが、近廻《ちかまは》りへ引上《ひきあ》げて来《き》たでござります。』
『まだ、知《し》れんのだね、あゝして呼立《よびた》てゝ居《ゐ》るのを見《み》ると。』
『へい、何《なに》しろ、早《は》や、山《やま》も谷《たに》も数《すう》が知《し》れん処《ところ》でござりますけにな。……』
と歎息《たんそく》を為《し》たが、面《つら》を振《ふ》つて、嚏《くしやみ》をした。
『しかし、あれでござりましよ。何分《なにぶん》夜《よ》が更《ふ》けましたで、道《みち》を教《をし》へますものも明方《あけがた》まで待《ま》ちませうし、又《また》……奥方様《おくがたさま》も、何《ど》の道《みち》お草臥《くたび》れでござりませうで、いづれにも夜《よ》が明《あ》けましたら、分《わか》るに相違《さうゐ》ござりません。』
『分《わか》るつて? 死骸《しがい》か、』
『えゝ?』
『死《し》んだら其《それ》までだ。』と自棄《やけ》を言《い》つて寐床《ねどこ》へ帰《かへ》つて打倒《ぶつたふ》れた。……
『お客様《きやくさま》、』
『奥様《おくさま》、』と呼《よ》ぶのが十声《とこゑ》ばかりして、やがて、ガラ/\と門《かど》の戸《と》が大《おほ》きく鳴《な》つて開《あ》く。私《わたし》は襟《ゑり》を被《かぶ》つて耳《みゝ》を塞《ふさ》いだ! 誰《だれ》が無事《ぶじ》だ、と知《し》らせて来《き》ても、最《も》う聞《き》くまい、と拗《す》ねたやうに……勿論《もちろん》、何《なん》とも言《い》つては来《き》ません。
 其癖《そのくせ》、ガラ/\と又《また》……今度《こんど》は大戸《おほど》の閉《しま》つた時《とき》は、これで、最《も》う、家内《かない》と私《わたし》は、幽明《いうめい》処《ところ》を隔《へだ》てたと思《おも》つて、思《おも》はず知《し》らず涙《なみだ》が落《お》ちた。…
 ト前刻《さつき》、止《よ》せ、と云《い》つて留《と》めたけれども、其《それ》でも女中《ぢよちゆう》が伸《の》べて行《い》つた、隣《となり》の寐床《ねどこ》の、掻巻《かいまき》の袖《そで》が動《うご》いて、煽《あふ》るやうにして揺起《ゆりおこ》す。
『おゝ、』と飛附《とびつ》くやうな返事《へんじ》を為《し》て顔《かほ》を出《だ》したが、固《もと》より誰《たれ》も居《ゐ》やう筈《はず》は無《な》い。枕《まくら》ばかり寂《さび》しく丁《ちやん》とあり、木賃《きちん》で無《な》いのが尚《な》ほうら悲《かな》しい。
 熟《じつ》と視詰《みつ》めて、茫乎《ぼんやり》すると、並《なら》べた寐床《ねどこ》の、家内《かない》の枕《まくら》の両傍《りやうわき》へ、する/\と草《くさ》が生《は》へて、短《みじか》いのが見《み》る/\伸《の》びると、蔽《おほ》ひかゝつて、萱《かや》とも薄《すゝき》とも蘆《あし》とも分《わか》らず……其《そ》の中《なか》へ掻巻《かいまき》がスーと消《き》える、と大《おほき》な蛇《へび》がのたりと寐《ね》て、私《わたし》の方《はう》へ鎌首《かまくび》を擡《もた》げた。ぐつたりして手足《てあし》を働《はたら》かす元気《げんき》も
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