《かほ》も視《み》られん、何《なん》にも成《な》らない。然《さ》うすりや、何《なに》を救《すく》ふんだか、救《すく》はれるんだか、……何《なに》を言《い》ふんだか、はゝはゝ。」
と取留《とりと》めもなく笑《わら》つた拍子《ひやうし》に、草《くさ》を踏《ふ》んだ爪先下《つまさきさが》りの足許《あしもと》に力《ちから》が抜《ぬ》けたか、婦《をんな》を肩《かた》に、恋《こひ》の重荷《おもに》の懸《かゝ》つた方《はう》の片膝《かたひざ》をはたと支《つ》く、トはつと手《て》を離《はな》すと同時《どうじ》に、婦《をんな》の黒髪《くろかみ》は頬摺《ほゝず》れにづるりと落《お》ちて、前伏《まへぶし》に、男《をとこ》の膝《ひざ》へ背《せな》が偃《のめ》つて、弱腰《よわごし》を折重《をりかさ》ねた。
「あつ!」と慌《あはたゞ》しく、青年《わかもの》は其《そ》の帯《おび》の上《うへ》へ手《て》を掛《か》けて、
「危《あぶな》い。あゝ、何《なん》て事《こと》だ。――お浦《うら》、」
と言《い》つたは婦《をんな》の名《な》で。
「怪我《けが》はしないか、何処《どこ》も痛《いた》めはしなかつたか。可《よし》、何《なん》ともない。」
 婦《をんな》が、あ、とも言《い》はず、声《こゑ》の無《な》いのを、過失《あやまち》はせぬ事《こと》、と頷《うなづ》いて、さあ、起《た》たうとすると些《ちつ》とも動《うご》かぬ。
「起《た》たないか、こんな処《ところ》に長居《ながゐ》は無益《むえき》だ。何《ど》うした。」
と密《そつ》と揺《ゆす》ぶる、手《て》に従《したが》つて揺《ゆす》ぶれるのが、死《し》んだ魚《うを》の鰭《ひれ》を摘《つま》んで、水《みづ》を動《うご》かすと同《おな》じ工合《ぐあひ》で、此方《こちら》が留《や》めれば静《じつ》と成《な》つて、浮《う》きも沈《しづ》みもしない風《ふう》。
 はじめて驚《おどろ》いた色《いろ》して、
「何《ど》うかしたか、お浦《うら》。はてな、今《いま》転《ころ》んだつて、下《した》へは落《おと》さん、、怪我《けが》も過失《あやまち》も為《し》さうぢやない。何《なん》だか正体《しやうたい》がないやうだ。矢張《やつぱ》り一時《いちじ》に疲労《つかれ》が出《で》たのか。あゝ、然《さ》う言《い》へば前刻《さつき》から人《ひと》にばかりものを言《い》はせる。確乎《しつかり》してくれ、お浦《うら》、何《ど》うしたんだ。」
と今《いま》は慌《あはたゞ》しく成《な》つた。青年《わかもの》は矢庭《やには》に頸《うなじ》を抱《だ》き、膝《ひざ》なりに背《せ》を向《むか》ふへ捻廻《ねぢま》はすやうにして、我《わ》が胸《むね》を前《まへ》へ捻《ひね》つて、押仰向《おしあふむ》けた婦《をんな》の顔《かほ》。
 今《いま》も目《め》は塞《ふさ》がず、例《れい》の眸《みは》つて、些《さ》の顰《ひそ》むべき悩《なや》みも無《な》げに、額《ひたひ》に毛《け》ばかりの筋《すぢ》も刻《きざ》まず、美《うつく》しう優《やさし》い眉《まゆ》の展《の》びたまゝ、瞬《またゝき》もしないで、其《そ》のまゝ見据《みす》えた。
 其《そ》の顔《かほ》と、此《こ》の時《とき》、引返《ひきかへ》した身動《みじろ》ぎに、飜《ひるがへ》つた褄《つま》の乱《みだ》れに、雪《ゆき》のやうに顕《あら》はれた円《まる》い膝頭《ひざがしら》……を一目《ひとめ》見《み》るや、
「うむ、」と一声《ひとこゑ》、※[#「てへん+堂」、第4水準2−13−41]《だう》と枯蘆《かれあし》に腰《こし》を落《おと》して、殆《ほと》んど痙攣《けいれん》を起《おこ》した如《ごと》く、足《あし》を投出《なげだ》してぶる/\と震《ふる》へて、
「違《ちが》つた/\。造《つく》りものだ、拵《こしら》へものだ、彫像《てうざう》だ。昨夜《ゆふべ》持《も》つて行《い》つた形代《かたしろ》だ、こりや、……おゝ。」
 戦《おのゝ》く手《て》に、婦《をんな》の胸《むね》を確乎《しつか》と圧《お》せば、膨《ふく》らかな襟《ゑり》のあたりも、掌《てのひら》に堅《かた》く且《か》つ冷《つめ》たいのであつた。
「何《なん》だ、又《また》これを持《も》つて帰《かへ》るほどなら、誰《たれ》が命《いのち》がけに成《な》つて、這麼《こんな》ものを拵《こしら》へやう。……誑《たぶらか》しやあがつたな! 山猫《やまねこ》め、狐《きつね》め、野狸《のだぬき》め。」
と邪慳《じやけん》に、胸先《むなさき》を取《と》つて片手《かたて》で引立《ひつた》てざまに、渠《かれ》は棒立《ぼうだ》ちにぬつくり立《た》つ。可憐《あはれ》や艶麗《あでやか》な女《をんな》の姿《すがた》は、背筋《せすぢ》を弓形《ゆみなり》、裳《もすそ》を宙《ちう》に、縊《くび》られた如《ごと
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