》くぶらりと成《な》る。

         三

 青年《わかもの》は半狂乱《はんきやうらん》の躰《てい》で、地韜《ぢだんだ》を踏《ふ》んで歯噛《はがみ》をした。
「おのれえ、魔《ま》でも、鬼《おに》でも、約束《やくそく》を違《たが》へる、と言《い》ふ不都合《ふつがふ》があるか、何《なん》と言《い》つた、何《なん》と言《い》つた。」
と詰《なじ》るが如《ごと》くに掠《かす》れ声《ごゑ》して、手《て》を握《にぎ》つて、空《くう》を打《う》つて、天守《てんしゆ》の屋根《やね》を睨《にら》んで喚《わめ》いた。大手筋《おほてすぢ》を下切《おりき》つた濠端《ほりばた》に――まだ明果《あけは》てない、海《うみ》のやうな、山中《さんちゆう》の原《はら》を背後《うしろ》にして――朝虹《あさにじ》に鱗《うろこ》したやうに一方《いつぱう》の谷《たに》から湧上《わきあが》る向《むか》ふ岸《ぎし》なる石垣《いしがき》越《ごし》に、其《そ》の天守《てんしゆ》に向《むか》つて喚《わめ》く……
 喚《わめ》くが、しかし、一騎《いつき》朝蒐《あさがけ》で、敵《てき》を詈《のゝし》る勇《いさ》ましい様子《やうす》はなく、横歩行《よこあるき》に、ふら/\して、前《まへ》へ出《で》たり、退《すさ》つたり、且《か》つ蹌踉《よろ》めき、且《か》つ独言《ひとりごと》するのである。
「畜生《ちくしやう》、人《ひと》の女房《にようばう》を奪《うば》つた畜生《ちくしやう》、魔物《まもの》に義理《ぎり》はあるまいが、約束《やくそく》を違《たが》へて済《す》むか、……何《なん》と言《い》つて約束《やくそく》した――婦《をんな》の彫像《てうざう》を拵《こしら》へろ、其《そ》の形代《かたしろ》を持《も》つて来《こ》い。お浦《うら》を返《かへ》すと言《い》つたのを忘《わす》れたか、忘《わす》れたのか。」
と其《そ》の握拳《にぎりこぶし》で、己《おの》が膝《ひざ》を礑《はた》と打《う》つたが、力《ちから》余《あま》つて背後《うしろ》へ蹌踉《よろ》ける、と石垣《いしがき》も天守《てんしゆ》も霞《かすみ》に揺《ゆ》れる。
「待《ま》てよ。雖然《けれども》、自分《じぶん》の製作《こしら》へた此《こ》の像《ざう》だ、これが、もし価値《ねうち》に積《つも》つて、あの、お浦《うら》より、遥《はるか》に劣《おと》つて居《ゐ》たら何《ど》うする。まるで取替《とりか》へる価《あたひ》がないと言《い》へば其《それ》までだ、――あゝ、其《それ》がために、旧通《もとどほ》りお浦《うら》を隠《かく》して、此《こ》の木像《もくざう》を突返《つきかへ》したのか。己《おれ》は夢中《むちゆう》で、此《これ》を恋《こひ》しい婦《をんな》だ、と思《おも》つて、うか/\抱《だ》いて返《かへ》つたのか、然《さ》うかも知《し》れん。
 其《それ》では、劣作《れつさく》だと言《い》ふのだな、駄物《だもの》だ、と言《い》ふのだな、劣作《れつさく》か、駄物《だもの》か、此奴《こいつ》。」
と首《くび》を引向《ひきむ》け胸《むね》に抱《いだ》いて、血走《ちばし》つた目《め》で屹《きつ》と其《そ》の顔《かほ》を。
「己《おれ》が、此《こ》の心《こゝろ》も知《し》らずに、けろりとして済《す》ました面《つら》よ。おのれ石《いし》でも、己《おれ》が此《こ》の心《こゝろ》を汲《く》んで、睫毛《まつげ》に露《つゆ》も宿《やど》さないか。霞《かすみ》にも曇《くも》らぬ瞳《ひとみ》は、蒟蒻玉《こんにやくだま》同然《どうぜん》だ。――其《それ》も道理《だうり》よ、血《ち》も通《かよ》はない、脉《みやく》もない、魂《たましひ》のない、たかゞ木屑《きくづ》の木像《もくざう》だ。」
と興覚顔《きようざめがほ》して、天守《てんしゆ》を仰《あふ》いで、又《また》俯向《うつむ》き、
「何《なん》だ、これは、魔物《まもの》が言《い》ひさうな事《こと》を己《おれ》が言《い》ふ、自分《じぶん》が言《い》ふ、我《われ》と我《わ》が口《くち》で詈《のゝし》るな。おゝ、自然《しぜん》と敵《てき》の意《い》を体《たい》して、自《みづ》から、罵倒《ばたう》するやうな木像《もくざう》では、前方《さき》が約束《やくそく》を遂《と》げんのも無理《むり》はない……駄物《だもの》、駄物《だもの》、駄物《だもの》、」
と三舎《さんしや》を避《さ》ける足取《あしどり》で、たぢ/\と後退《あとずさ》りして、
「さあ、恁《か》うなれば、お浦《うら》の紀念《かたみ》の方《はう》が大事《だいじ》だ。よくも、おのれ、ぬく/\と衣服《きもの》を着《き》た。」と言《い》ふ/\※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》るが如《ごと》く衣紋《えもん》を開《ひら》いて帯《おび》をかなぐり、袖《そで》を外
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