言葉《ことば》あらそひを興《きよう》がつて、
『何《なに》二世《にせ》なぞがあるものか、魂《たましひ》は滅《ほろ》びないでも、死《し》ねば夫婦《ふうふ》はわかれわかれだ。』
とはぐらかすと、褄《つま》を引合《ひきあ》はせながら、起直《おきなほ》つて、
『私《わたし》は此《こ》の世《よ》ばかりでは厭《いや》です。』
とツンとした。
『それでは二人《ふたり》で、一世《いつせ》か、二世《にせ》か賭《かけ》をしやう。』
 苟《いやし》くも未来《みらい》の有無《うむ》を賭博《かけもの》にするのである。相撲取草《すまうとりぐさ》の首《くび》つ引《ぴき》なぞでは其《そ》の神聖《しんせい》を損《そこな》ふこと夥《おびたゞ》しい。聞《き》けば此《こ》の山奥《やまおく》に天然《てんねん》の双六盤《すごろくばん》がある。其《そ》の仙境《せんきやう》で局《きよく》を囲《かこ》まう。
 で、其《そ》の勝敗《しようはい》を紀念《きねん》として、一先《ひとま》づ、今度《こんど》の蜜月《みつゞき》の旅《たび》を切上《きりあ》げやう。けれども双六盤《すごろくばん》は、唯《たゞ》土地《とち》の伝説《でんせつ》であらうも知《し》れぬ。実際《じつさい》なら奇蹟《きせき》であるから、念《ねん》のためと、こゝで、其《そ》の翌日《よくじつ》旅店《りよてん》の主人《あるじ》に聞《き》いたのが、……件《くだん》の青石《あをいし》に薄紫《うすむらさき》の筋《すぢ》の入《はい》つた、恰《あたか》も二人《ふたり》が敷《し》いた座蒲団《ざぶとん》に肖《に》て居《ゐ》ると言《い》ふ其《それ》であつた。
『案内者《あんないしや》でも雇《やと》へやうか。』
 亭主《ていしゆ》が飛《とん》でもない顔色《かほつき》で、二人《ふたり》を視《なが》めたも道理《だうり》。

         十二

 双六《すごろく》は確《たしか》にあり。天工《てんこう》の奇蹟《きせき》の故《ゆゑ》に、四五六《しごろく》また双六谷《すごろくだに》と其処《そこ》を称《とな》へ、温泉《をんせん》も世《よ》の聞《き》こえに、双六《すごろく》の名《な》を負《お》はするが、谷《たに》を究《きは》めて、盤石《ばんじやく》を見《み》たものは昔《むかし》から誰《だれ》も無《な》い。――土地《とち》の名所《めいしよ》とは言《い》ひながら、なか/\以《もつ》て、案内者《あんないしや》を連《つ》れて踏込《ふみこ》むやうな遊山場《ゆさんば》ならず。双六盤《すごろくばん》の事《こと》は疑無《うたがひな》けれど、其《そ》の是《これ》あるは、月《つき》の中《なか》に玉兎《ぎよくと》のある、と同《おんな》じ事《こと》、と亭主《ていしゆ》は語《かた》つた。
 土地《とち》のものが、其方《そなた》の空《そら》ぞと視《なが》め遣《や》る、谷《たに》の上《うへ》には、白雲《はくうん》行交《ゆきか》ひ、紫緑《むらさきみどり》の日影《ひかげ》が添《そ》ひ、月明《つきあかり》には、黄《き》なる、又《また》桃色《もゝいろ》なる、霧《きり》の騰《のぼ》るを時々《ときどき》望《のぞ》む。珠《たま》か、黄金《こがね》か、世《よ》にも貴《たうと》い宝什《たから》が潜《ひそ》んで、気《き》の群立《むらだ》つよ、と憧憬《あこが》れながら、風《かぜ》に木《き》の葉《は》の音信《たより》もなければ、もみぢを分入《わけい》る道《みち》も知《し》らず……恰《あたか》も燦爛《さんらん》として五彩《ごさい》に煌《きら》めく、天上《てんじやう》の星《ほし》を指《ゆびさ》しても、手《て》に取《と》られぬ、と異《かは》りはない。
 唯《たゞ》山深《やまふか》く木《き》を樵《こ》る賤《しづ》が、兎《と》もすれば、我《わ》が伐木《ばつぼく》の谺《こだま》にあらぬ、怪《あや》しく、床《ゆか》しく且《か》つ幽《かすか》に、ころりん、から/\、と妙《たへ》なる楽器《がくき》を奏《かな》づるが如《ごと》きを聞《き》く――其時《そのとき》は、森《もり》の枝《えだ》が、一《ひと》つ一《ひと》つ黄金《こがね》白銀《しろがね》の線《いと》に成《な》つて、其《そ》の音《ね》を伝《つた》ふるが如《ごと》くに感《かん》ずる……思《おも》ふに魔神《まじん》が対向《むかひあ》つて、采《さい》を投《な》げる響《ひゞき》であらう……何《なん》につけても、飛騨谷《ひだだに》第一《だいいち》の隠《かく》れ場所《ばしよ》、近《ちか》づき難《がた》い魔所《ましよ》である、と猶《な》ほ亭主《ていしゆ》が語《かた》つたのである。
 二人《ふたり》は、聞《き》くが如《ごと》き他界《たかい》であるのを信《しん》ずると共《とも》に、双六《すごろく》の賭《かけ》が弥《いや》が上《うへ》にも、意味《いみ》の深《ふか》いものに成《な》つた事《こと》
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