を喜《よろこ》んだ……勿論《もちろん》、谷《たに》へ分入《わけい》るに就《つ》いて躊躇《ちうちよ》を為《し》たり、恐怖《おそれ》を抱《いだ》いたりするやうな念《ねん》は聊《いさゝか》も無《な》かつた。
 と雪枝《ゆきえ》は続《つゞ》いて言《い》つた。
「其《そ》の上《うへ》好奇心《かうきしん》にも駆《か》られたでせう。直《す》ぐにも草鞋《わらぢ》を買《か》はして、と思《おも》つたけれども、彼是《かれこれ》晩方《ばんがた》に成《な》つたから、宿《やど》の主人《あるじ》を強《し》ゐて、途中《とちゆう》まで案内者《あんないしや》を着《つ》けさせることにして、其《そ》の日《ひ》の晩飯《ばんめし》は済《すま》せました。」
 双六谷《すごろくだに》へは、翌早朝《よくさうてう》と言《い》ふ意気組《いきぐみ》、今夜《こんや》も二世《にせ》かけた勝敗《しようはい》は無《な》しに、唯《たゞ》睦《むつ》まじいのであらうと思《おも》ふ。宵寐《よひね》をするにも余《あま》り早《はや》い、一風呂《ひとふろ》浴《あ》びた後《あと》……を、ぶらりと二人連《ふたりづれ》で山路《やまみち》へ出《で》て見《み》たのが、丁《ちやう》ど……狐《きつね》の穴《あな》には灯《あかり》は点《つ》かぬが、猿《さる》の店《みせ》には燈《ともしび》の点《つ》く時分《じぶん》、何《なに》となく薄《うす》ら寒《さむ》い、其処等《そこら》の霞《かすみ》も、遠山《とほやま》の雪《ゆき》の影《かげ》が射《さ》すやうで、夕餉《ゆふげ》の煙《けむり》が物寂《ものさび》しう谷《たに》へ落《おち》る。五六軒《ごろくけん》の藁屋《わらや》ならび、中《なか》にも浅間《あさま》な掛小屋《かけこや》のやうな小店《こみせ》を開《あ》けて、穴《あな》から商売《しやうばい》をするやうに婆《ばあ》さんが一人《ひとり》戸《と》の外《そと》を透《す》かして居《ゐ》た。其《そ》の店《みせ》で獣《けもの》の皮《かは》だの、獅子頭《しゝがしら》、狐《きつね》猿《さる》の面《めん》、般若《はんにや》の面《めん》、二升樽《にしやうだる》ぐらゐな座頭《ざとう》の首《くび》、――いや其《それ》が白《しろ》い目《め》をぐるりと剥《む》いて、亀裂《ひゞ》の入《はい》つた壁《かべ》に仰向《あふむ》いた形《かたち》なんぞ余《あんま》り気味《きみ》の可《い》いものではなかつた。誰《たれ》か拵《こしら》へるものが居《ゐ》て、直《す》ぐ其《それ》を売《う》るらしい。破莚《やれむしろ》の上《うへ》は、藍《あゐ》の絵具《ゑのぐ》や、紅殻《べにがら》だらけ――婆《ばあ》さんの前垂《まへだれ》にも、ちら/\霜《しも》のやうに胡粉《ごふん》がかゝつた。其《そ》の他《た》角細工《つのざいく》も種々《いろ/\》ある。……
「はツはツ、婆様《ばあさま》が家《うち》ぢや。」と老爺《ぢゞい》は不意《ふい》に笑《わら》ひ懸《か》けて、
「茶《ちや》でも飲《あが》つてござつたかの。」
 雪枝《ゆきえ》は不図《ふと》心着《こゝろづ》いたらしく調子《てうし》を変《か》へて、
「あゝ、お知己《ちかづき》の店《みせ》なんですか。」
「昔《むかし》の恋《こひ》でがす。彼《あれ》でもの、お前様《めえさま》、新造盛《しんざうざか》りの事《こと》も有《あ》つけ。人形《あねさま》を欲《ほ》しがる時分《じぶん》ぢや。なんぼ山鳥《やまどり》のおろのかゞみで、頤髯《あごひげ》さ撫《な》でた処《ところ》で、木《き》の枝《えだ》で、鋸《のこぎり》を使《つか》ひ/\、猿《さる》の脚《あし》と並《なら》んだ尻《しり》を、下《した》から見《み》せては落《お》つこちねえ。其処《そこ》で、人形《にんぎやう》やら、おかめの面《めん》やら、御機嫌取《ごきげんとり》に拵《こしら》へて持《も》つて行つては、莞爾《につこり》させて他愛《たあい》なく見惚《みと》れて居《ゐ》たものでがす。はゝゝ、はじめの内《うち》は納戸《なんど》の押入《おしいれ》へ飾《かざ》つての、見《み》るな見《み》るな、と云《い》ふ。恐《おそ》ろしい、男《をとこ》を食《く》つて骨《ほね》を秘《かく》す、と村《むら》のものが嬲《なぶ》つたつけの……真個《ほん》の孤屋《ひとつや》の鬼《おに》に成《な》つて、狸婆《たぬきばゞあ》が、旧《もと》の色仕掛《いろじか》けで私《わし》に強請《ゆす》つて、今《いま》では銭《おあし》にするでがすが、旦那《だんな》、何《なに》か買《か》はしつたか、沢山《たんと》直切《ねぎ》らつしやれば可《よ》かつけな。」


       采《さい》


         十三

「おゝ、老爺《おぢい》さんが、あの、種々《いろ/\》なものを。」
と雪枝《ゆきえ》は目《め》の覚《さ》めた顔色《かほつき》して、
「面《めん》も頭《かしら
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