わらぢ》の尖《さき》で向直《むきなほ》つた。早《は》や煙《けむり》の余波《なごり》も消《き》えて、浮脂《きら》に紅蓮《ぐれん》の絵《ゑ》も描《か》かぬ、水《みづ》の其方《そなた》を眺《なが》めながら、
「あの……木葉船《こツぱぶね》はの、丁《ちやん》と自然《ひとりで》に動《うご》くでがすよ……土地《とち》のものは知《し》つとります。で、鷺《さぎ》の船頭《せんどう》と渾名《あだな》するだ。それ、見《み》さしつた通《とほ》り、五位鷺《ごゐさぎ》が漕《こ》ぐべいがね。」
「漕《こ》ぐのは鷺《さぎ》でも鳶《とんび》でも構《かま》はん。漕《こ》がせるのは人間《にんげん》ぢや無《な》いのだらう。」
 余計《よけい》なことを、と投《な》げ調子《てうし》。
「いんや、お前様《めえさま》、お天守《てんしゆ》の、」
と声《こゑ》を密《ひそ》めて、
「……魔《ま》の人《ひと》が為業《しわざ》なら、同一《おなじ》鷺《さぎ》が漕《こ》ぐにして、其《そ》の船《ふね》は光《ひかり》を放《はな》つて、ふわ/\雲《くも》の中《なか》を飛行《ひぎやう》するだ。
 ……たか/″\人間《にんげん》の仕事《しごと》だけに、羽《はね》の有《あ》る船頭《せんどう》を使《つか》ふても、水《みづ》の上《うへ》を浮《う》いて行《い》くだよ。何《なに》も希有《けう》がらつしやるには当《あた》らぬ。あの船《ふね》は、私《わし》が慰楽《なぐさみ》に造《つく》るでがす。」
「えゝ、拵《こしら》へる、而《そ》して魔物《まもの》では無《な》いと言《い》ふのか。」
「随意《まゝ》にさつしやりませ。すつとこ被《かぶ》りをした天狗様《てんぐさま》があつて成《な》ろかい。気《き》を静《しづ》めさつしやるが可《い》い。嘘《うそ》だ思《おも》ふなら、退屈《たいくつ》せずに四日《よつか》五日《いつか》、私《わし》が小屋《こや》へ来《き》て対向《さしむか》ひに座《すは》つてござれ、ごし/\こつ/\と打敲《ぶつたゝ》いて、同一《おなじ》船《ふね》を、主《ぬし》が目《め》の前《まへ》で拵《こさ》へて見《み》せるだ。」
「ふん、」と返事《へんじ》を呑込《のみこ》んだが、まだ其《そ》の息《いき》は発喘《はず》むのであつた。
「何《ど》うして作《つく》る。」
「何《ど》うして作《つく》る? ……つひ一寸《ちよつ》くら手真似《てまね》で話《はな》されるもんではねえ。此《こ》の胸《むね》に、機関《からくり》を知《し》つとります。」
「機関《からくり》か。」
「危険《けんのん》な機関《からくり》だで、小《ちひ》さく拵《こさ》へて、小児《こども》の玩弄《おもちや》にも成《な》りましねえ。が、親譲《おやゆづ》りの秘伝《ひでん》ものだ、はツはツはツ、」
と浮世《うきよ》を忘《わす》れた笑《わら》ひを行《や》る。
「お待《ま》ち、親譲《おやゆづ》りの秘伝《ひでん》と言《い》ふと……」
と言《い》ひ方《かた》は迫《せま》つたが、声《こゑ》の調子《てうし》は大分《だいぶ》静《しづ》まる。
「何《なに》も、家伝《かでん》の秘法《ひはふ》の言《い》ふて、勿体《もつたい》を附《つ》けるでねえがね……祖父《おんぢい》の代《だい》から為《し》た事《こと》を、見《み》やう見真似《みまね》に遣《や》るでがすよ。」
「其《それ》ぢや、三代《さんだい》船大工《ふなだいく》か。」
と些少《すこし》落着《おちつ》いて青年《わかもの》が聞《き》いた。


       雪枝《ゆきえ》、菊松《きくまつ》


         七

「何《なん》の、お前様《めえさま》、見《み》さる通《とほ》り二十八方仏子柑《にじふはつぱうぶしかん》の山間《やまあひ》ぢや。木《き》を伐出《きりだ》いて谿河《たにがは》へ流《なが》せば流《なが》す……駕籠《かご》の渡《わた》しの藤蔓《ふぢづる》は編《あ》むにせい、船大工《ふなだいく》は要《い》りましねえ。――私等《わしら》が家《うち》は、村里町《むらざとまち》の祭礼《まつり》の花車人形《だしにんぎやう》。木偶之坊《でくのばう》も拵《こしら》へれば、内職《ないしよく》にお玉杓子《たまじやくし》も売《う》つたでがす。獅子頭《しゝがしら》、閻魔様《えんまさま》、姉様《あねさま》の首《くび》の、天狗《てんぐ》の面《めん》、座頭《ざとう》の顔《かほ》、白粉《おしろひ》も塗《ぬ》れば紅《べに》もなする、青絵具《あをゑのぐ》もべつたりぢや。
 そんなものさ、甘干《あまぼし》の柿《かき》見《み》たやうに、軒《のき》へぶら下《さ》げて売《う》りましつけ、……水損《すゐそん》、山抜《やまぬ》け、御維新《ごゐしん》以来《このかた》、城趾《しろあと》へ草《くさ》が生《は》へる、濠《ほり》が埋《う》まる、村《むら》も里《さと》も無《な》くなりました処《とこ
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