ろ》へ、路《みち》が変《かは》つて、旅人《たびびと》も通《とほ》らぬけえに、根《ね》つから家業《かげふ》に成《な》らんでの、私《わし》ら、木挽《こびき》木樵《きこり》も遣《や》る。温泉場《をんせんば》に普請《ふしん》でも有《あ》る時《とき》には、下手《へた》な大工《だいく》の真似《まね》もする。閑《ひま》な日《ひ》には鰌《どぜう》を掬《しやく》つて暮《くら》すだが、祖父殿《おんぢいどん》は、繁昌《はんじやう》での、藩主様《とのさま》さ奥御殿《おくごてん》の、お雛様《ひなさま》も拵《こさ》へさしたと……
其《そ》の祖父殿《おんぢいどん》はの、山伏《やまぶし》の姿《すがた》した旅《たび》の修業者《しゆげふじや》が、道陸神《だうろくじん》の傍《そば》に病倒《やみたふ》れたのを世話《せわ》して、死水《しにみづ》を取《と》らしつけ……其《そ》の修業者《しゆげふじや》に習《なら》つた言《い》ひます。
轆轤首《ろくろくび》さ、引窓《ひきまど》から刎《は》ねて出《で》る、見越入道《みこしにふだう》がくわつと目《め》を開《あ》く、姉様《あねさま》の顔《かほ》は莞爾《につこり》笑《わら》ふだ、――切支丹宗門《キリシタンしうもん》で、魔法《まはふ》を使《つか》ふと言《い》ふて、お城《しろ》の中《なか》で殺《ころ》されたとも言《い》へば、行方知《ゆくへし》れずに成《な》つたとも言《い》ふ。
はじめは、不思議《ふしぎ》な機関《からくり》を藩主様《とのさま》御前《ごぜん》で見《み》せい言《い》ふて、お城《しろ》へ召《め》されさしけえの、其時《そのとき》拵《こさ》へたのが、五位鷺《ごゐさぎ》の船頭《せんどう》ぢや。
それ、船《ふね》を浮《うか》べたのは、矢張《やはり》此《こ》の濠《ほり》。」
と言《い》ひかけて、水《みづ》には臨《のぞ》まず、却《かへ》つて空《そら》を指《ゆびさ》した老爺《ぢい》の指《ゆび》は、一《ひとつ》の峰《みね》と相対《あひむか》つて、霞《かすみ》の高《たか》い、天守《てんしゆ》の棟《むね》に並《なら》んで見《み》えた。
「これは、其《そ》の三重濠《さんぢゆうぼり》で、二《に》の丸《まる》の奥《おく》でがす。お殿様《とのさま》は、継上下《つぎかみしも》の侍方《さむらひがた》、振袖《ふりそで》の腰元衆《こしもとしゆ》づらりと連《つ》れて出《で》て御見物《ごけんぶつ》ぢや。
『町人《ちやうにん》、此《こ》の船《ふね》を何《ど》うするな。』
『御意《ぎよい》にござります。舳《みよし》に据《す》えました其《そ》の五位鷺《ごゐさぎ》が翼《つばさ》を帆《ほ》に張《は》り、嘴《くちばし》を舵《かぢ》に仕《つかまつ》りまして、人手《ひとで》を藉《か》りませず水《みづ》の上《うへ》を渡《わた》りまする。』
と申上《まをしあ》げたて。……なれども唯《たゞ》差置《さしお》いたばかりでは鷺《さぎ》が翼《つばさ》を開《ひら》かぬで、人《ひと》が一人《ひとり》乗《の》る重量《おもみ》で、自然《おのづ》から漕《こ》いで出《で》る。……一体《いつたい》が、天上界《てんじやうかい》の遊山船《ゆさんぶね》に擬《なぞ》らへて、丹精《たんせい》籠《こ》めました細工《さいく》にござるで、御斉眉《おかしづき》の中《なか》から天人《てんにん》のやうな上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《じやうらう》御一方《おひとかた》、と望《のぞ》んだげな。
当時《たうじ》飛鳥《とぶとり》も落《お》ちると言《い》ふ、お妾《めかけ》が一人《ひとり》乗《の》つて出《で》たが、船《ふね》の焼出《やけだ》したのは、主《ぬし》が見《み》さしつた通《とほ》りでがす。――其《そ》の妾《めかけ》と言《い》ふのが、祖父殿《おんぢいどん》の許嫁《いひなづけ》で有《あ》つたとも言《い》へば、馴染《なじみ》だとも風説《うはさ》したゞね。
処《ところ》で、綾錦《あやにしき》へ燃《も》えつく時《とき》、祖父殿《おんぢいどん》が手《て》を挙《あ》げて、
『飛込《とびこ》め、助《たす》かる。』
と我鳴《がな》らしつけが、お妾《めかけ》は慌《あは》てもせず、珠《たま》の簪《かんざし》を抜《ぬ》くと、舷《ふなばた》から水中《すゐちう》へ投込《なげこ》んで、颯《さつ》と髪《かみ》の毛《け》を捌《さば》いたと思《おも》へ。……胴《どう》の間《ま》へ突伏《つゝぷ》して動《うご》かぬだ。
裸《はだか》で飛込《とびこ》んだ、侍方《さむらひがた》、船《ふね》に寄《よ》りは寄《よ》つたれども、燃《も》え立《た》つ炎《ほのほ》で手《て》が出《だ》せぬ。漸《やつ》との思《おも》ひで船《ふね》を引《ひつ》くら返《かへ》した時分《じぶん》には、緋鯉《ひごひ》のやうに沈《しづ》んだげな。――これだもの、お前様《めえ
前へ
次へ
全71ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング