《きんがうきんざい》、私《わし》の他《ほか》に無《な》いのぢやが、……お前様《めえさま》が見《み》さしつた、城《じやう》ヶ|沼《ぬま》の四手場《よつでば》の足代《あじろ》の上《うへ》の黒坊主《くろばうず》と……はてな……其《そ》の坊様《ばうさま》は大《おほき》い割《わり》に、色《いろ》が蒼《あを》ざめては居《を》らんかの。」
二十
「あゝ、蒼《あを》ざめた、」
と雪枝《ゆきえ》は起直《おきなほ》つて言《い》つた。
「鼻《はな》の円《まる》い、額《ひたひ》の広《ひろ》い、口《くち》の大《おほき》い、……其《そ》の顔《かほ》を、然《しか》も厭《いや》な色《いろ》の火《ひ》が燃《も》えたので、暗夜《やみ》に見《み》ました。……坊主《ばうず》は狐火《きつねび》だ、と言《い》つたんです。」
「それ/\、其《そ》の坊様《ばうさま》なら、宵《よひ》の口《くち》に私《わし》が頼《たの》んで四手場《よつでば》に居《ゐ》て貰《もら》ふたのぢや……、はあ、其処《そこ》へお前様《めえさま》が行逢《ゆきあ》はしつたの。はて、どうも、妙智力《めうちりき》、旦那様《だんなさま》と私《わし》は縁《えん》が有《あ》るだね。」
「確《たしか》に師弟《してい》の縁《えん》が有《あ》ると思《おも》ひます、」
と雪枝《ゆきえ》は慇懃《ゐんぎん》に言《い》ふ。
「まあ、串戯《じやうだん》は措《お》かつせえ。……時《とき》に其《そ》の坊様《ばうさま》は何《なん》と云《い》ふでがすね。」
「えゝ、……
『私《わし》は旅《たび》から旅《たび》をふら/\と経廻《へめぐ》るものぢやが、』と坊様《ばうさま》が言《い》ふんです。
『日《ひ》が暮《く》れて此処《こゝ》を通《とほ》りかゝると、今《いま》、私《わし》が御身《おみ》に申《まを》したやうに、沼《ぬま》の水《みづ》は深《ふか》いぞ、と気《き》を注《つ》けたものがある。此《こ》の四手場《よつでば》に片膝《かたひざ》で、暗《やみ》の水《みづ》を視詰《みつ》めて居《ゐ》た老人《らうじん》ぞや。さて漁《れう》はあるか、と問《と》へば、漁《れう》は有《あ》るが、魚《さかな》は一向《いつかう》に獲《と》れぬと言《い》ふ。
希有《けう》な事《こと》を聞《き》くものぢや、其《そ》の理由《いはれ》は、と尋《たづ》ねると、老人《らうじん》の返事《へんじ》には、』
と其《そ》の坊主《ばうず》が話《はな》したんです。……ぢや、老爺《おぢい》さん――老人《らうじん》が貴下《あなた》なら、貴下《あなた》が坊主《ばうず》に話《はな》された、と云《い》ふ、城《じやう》ヶ|沼《ぬま》の鯉《こひ》鮒《ふな》は、網《あみ》で掬《すく》へば漁《れう》はあるが、畚《びく》に入《い》れると直《す》ぐに消《き》えて、一尾《いつぴき》も底《そこ》に留《たま》らぬ。鰌《どぜう》一尾《いつぴき》獲物《えもの》は無《な》い。無《な》いのを承知《しやうち》で、此処《こゝ》に四《よ》ツ手《で》を組《く》むと言《い》ふのは、夜《よ》が更《ふ》けると水《みづ》に沈《しづ》めた網《あみ》の中《なか》へ、何《なん》とも言《い》へない、美《うつく》しい女《をんな》が映《うつ》る。其《それ》を見《み》たい為《ため》に、独《ひと》り恁《か》うやつて構《かま》へて居《ゐ》る、……とお話《はなし》があつたやうに、其《そ》の時《とき》坊主《ばうず》から聞《き》いたんです……それは真個《ほんとう》の事《こと》ですか? 老爺《おぢい》さん。」
一切《いつさい》、事実《じじつ》だ、と老爺《ぢゞい》は答《こた》へたのである。
はじめの内《うち》、……獲《え》た魚《うを》は畚《びく》の中《なか》を途中《とちゆう》で消《き》えた。荻尾花道《をぎをばなみち》、木《き》の下路《したみち》、茄子畠《なすびばたけ》の畝《あぜ》、籔畳《やぶだゝみ》、丸木橋《まるきばし》、……城《じやう》ヶ|沼《ぬま》に漁《すなど》つて、老爺《ぢゞい》が小家《こや》に帰《かへ》る途中《とちゆう》には、穴《あな》もあり、祠《ほこら》もあり、塚《つか》もある。月夜《つきよ》の陰《かげ》、銀河《ぎんが》の絶間《たえま》、暗夜《やみ》にも隈《くま》ある要害《えうがい》で、途々《みち/\》、狐《きつね》狸《たぬき》の輩《やから》に奪《うば》ひ取《と》られる、と心着《こゝろづ》き、煙草入《たばこいれ》の根附《ねつけ》が軋《きし》んで腰《こし》の骨《ほね》の痛《いた》いまで、下《した》つ腹《ぱら》に力《ちから》を籠《こ》め、気《き》を八方《はつぱう》に配《くば》つても、瞬《またゝき》をすれば、一《ひと》つ失《う》せ、鼻《はな》をかめば二《ふた》つ失《う》せ、嚏《くしやみ》をすればフイに成《な》る。……で、未《ま》だも途中《とちゆう
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