脚をばったのように、いや、ずんぐりだから、蟋蟀《こおろぎ》のように※[#「てへん+爭」、第4水準2−13−24]《もが》いて、頭で臼《うす》を搗《つ》いていた。

「――そろそろと歩行《ある》いて行《ゆ》き、ただ一番あとのものを助けるよう――」
 途中から女の子に呼戻させておいて、媼巫女《うばみこ》、その孫八爺さんに命ずるがごとくに云って――方角を教えた。
 ずんぐりが一番あとだったのを、孫八が来て見出したとともに、助けたのである。
 この少年は、少なからぬ便宜を与えた。――検《しらべ》する官人の前で、
「――三日以来、大沼が、日に三度ずつ、水の色が真赤《まっか》になる情報があったであります。緋《ひ》の鳥が一羽ずつ来るのだと鳥博士が申されました。奇鳥で、非常な価値である。十分に準備を整えて出向ったであります。果して、対岸に真紅《まっか》な鳥が居る。撃ったであります。銃の命中したその鳥は、沼の中心へ落ちたであります。従って高級なる猟犬として泳いだのであります。」
 と明確に言った。
 のみならず、紳士の舌には、斑※[#「(矛+攵)/虫」、第4水準2−87−65]がねばりついていた。
 一人として事件に煩わされたものはない。
 汀《なぎさ》で、お誓を抱いた時、惜しや、かわいそうに、もういけないと思った。胸に硝薬《しょうやく》のにおいがしたからである。
 水を汲《く》もうとする処へ、少年を促がしつつ、廻り駈《が》けに駈けつけた孫八が慌《あわただ》しく留めた。水を飲んじゃなりましねえ。山野に馴れた爺の目には、沼の水を見さっせえ、お前等《めえら》がいった、毒虫が、ポカリポカリ浮いてるだ。……
 明神まで引返す、これにも少年が用立った。爺さんにかわって、お誓を背にして走った。
 清水につくと、魑魅《すだま》が枝を下り、茂りの中から顕《あら》われたように見えたが、早く尾根づたいして、八十路《やそじ》に近い、脊の低い柔和なお媼《ばあ》さんが、片手に幣結《しでゆ》える榊《さかき》を持ち、杖《つえ》はついたが、健《すこやか》に来合わせて、
「苦労さしゃったの。もうよし、よし。」
 と、お誓のそのふくよかな腹を、袖の下で擦《さす》って微笑《ほほえ》んだ。そこがちょうど結び目の帯留の金具を射て、弾丸《たま》は外《そ》れたらしい。小指のさきほどの打身があった。淡《うす》いふすぼりが、媼《うば》の手が榊を清水にひたして冷すうちに、ブライツッケルの冷罨法《れいあんぽう》にも合《かな》えるごとく、やや青く、薄紫にあせるとともに、乳《ち》が銀の露に汗ばんで、濡色の睫毛《まつげ》が生きた。
 町へ急ぐようにと云って、媼はなおあとへ残るから、
「お前様は?」
 お誓が聞くと、
「姫神様がの、お冠の纓《ひも》が解けた、と御意じゃよ。」

 これを聞いて、活ける女神《じょしん》が、なぜみずからのその手にて、などというものは、烏帽子折《えぼしおり》を思わるるがいい。早い処は、さようなお方は、恋人に羽織をきせられなかろう。袴腰も、御自分で当て、帽子も、御自分で取っておかぶりなさい。

       五

 神巫《いちこ》たちは、数々《しばしば》、顕霊を示し、幽冥《ゆうめい》を通じて、俗人を驚かし、郷土に一種の権力をさえ把持《はじ》すること、今も昔に、そんなにかわりなく、奥羽地方は、特に多い、と聞く。
 むかし、秋田何代かの太守が郊外に逍遥《しょうよう》した。小やすみの庄屋が、殿様の歌人なのを知って、家に持伝えた人麿の木像を献じた。お覚えのめでたさ、その御機嫌の段いうまでもない――帰途に、身が領分に口寄《くちよせ》の巫女《いちこ》があると聞く、いまだ試みた事がない。それへ案内《あない》をせよ。太守は人麿の声を聞こうとしたのである。

 しのびで、裏町の軒へ寄ると、破屋《あばらや》を包む霧寒く、松韻|颯々《さつさつ》として、白衣《びゃくえ》の巫女が口ずさんだ。
「ほのぼのと……」
 太守は門口《かどぐち》を衝《つ》と引いた。「これよ。」「ははッ。」「巫女に謝儀をとらせい。……あの輩《やから》の教化は、士分にまで及ぶであろうか。」「泣きみ、笑いみ……ははッ、ただ婦女子のもてあそびものにござりまする。」「さようか――その儀ならば、」……仔細《しさい》ない。
 が、孫八の媼《うば》は、その秋田辺のいわゆる(おかみん)ではない。越後路《えちごじ》から流漂《るひょう》した、その頃は色白な年増であった。呼込んだ孫八が、九郎判官は恐れ多い。弁慶が、ちょうはん、熊坂ではなく、賽《さい》の目の口でも寄せようとしたのであろう。が、その女|振《ぶり》を視《み》て、口説《くど》いて、口を遁《に》げられたやけ腹に、巫女の命とする秘密の箱を攫《さら》って我が家を遁げて帰らない。この奇略は、モスコオの退都に似ている。悪孫八が勝ち、無理が通った。それも縁であろう。越後|巫女《みこ》は、水飴《みずあめ》と荒物を売り、軒に草鞋《わらじ》を釣《つる》して、ここに姥塚《うばづか》を築くばかり、あとを留《とど》めたのであると聞く。

 ――前略、当寺檀那、孫八どのより申上げ候。入院中流産なされ候御婦人は、いまは大方に快癒《かいゆ》、鬱散《うっさん》のそとあるきも出来候との事、御安心下され度《たく》候趣、さて、ここに一昨夕、大夕立これあり、孫八老、其《そ》の砌《みぎり》某所墓地近くを通りかかり候折から、天地|晦冥《かいめい》、雹《ひょう》の降ること凄《すさ》まじく、且《かつ》は電光の中《うち》に、清げなる婦人一|人《にん》、同所、鳥博士の新墓の前に彳《たたず》み候が、冷く莞爾《にこり》といたし候とともに、手の壺|微塵《みじん》に砕け、一塊の鮮血、あら土にしぶき流れ、降積りたる雹を染め候が、赤き霜柱の如く、暫時《しばし》は消えもやらず有之《これあり》候よし、貧道など口にいたし候もいかが、相頼まれ申候ことづてのみ、いずれ仏菩薩の思召す処にはこれあるまじく、奇《く》しく厳《いつく》しき明神の嚮導《きょうどう》指示のもとに、化鳥の類の所為《しょい》にもやと存じ候――
[#地から2字上げ]西明寺   木魚。
 和尚さんも、貧地の癖に「木魚」などと洒落《しゃ》れている。が、それはとにかく――(上人の手紙は取意の事)東京の小県へこの来書の趣は、婦人が受辱《じゅにく》、胎蔵《たいぞう》の玻璃《はり》を粉砕して、汚血《おけつ》を猟色の墳墓に、たたき返したと思われぬでもない。
[#地から1字上げ]昭和八(一九三三)年一月



底本:「泉鏡花集成9」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年6月24日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十三卷」岩波書店
   1942(昭和17)年6月22日発行
入力:門田裕志
校正:土屋隆
2006年3月27日作成
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