、緋《ひ》ともいうが、夜の花の朧《おぼろ》と思え。……
 どの道、巌《いわお》の奥殿の扉を開くわけには行かないのだから、偏《ひとえ》に観世音を念じて、彼処《かしこ》の面影を偲《しの》べばよかろう。
 爺さんは、とかく、手に取れそうな、峰の堂――絵馬の裡《なか》へ、銑吉を上らせまいとするのである。
 第一|可恐《おそろし》いのは、明神の拝殿の蔀《しとみ》うち、すぐの承塵《なげし》に、いつの昔に奉納したのか薙刀《なぎなた》が一振《ひとふり》かかっている。勿論誰も手を触れず、いつ研いだ事もないのに、切味《きれあじ》の鋭さは、月の影に翔込《かけこ》む梟《ふくろう》、小春日になく山鳩は構いない。いたずらものの野鼠は真二つになって落ち、ぬたくる蛇は寸断《ずたずた》になって蠢《うごめ》くほどで、虫、獣《けだもの》も、今は恐れて、床、天井を損わない。
 人間なりとて、心柄によっては無事では済まない。かねて禁断であるものを、色に盲《めし》いて血気な徒が、分別を取はずし、夜中、御堂へ、村の娘を連込んだものがあった。隔ての帳《とばり》も、簾《すだれ》もないのに――
 ――それが、何と、明《あかる》い月夜よ。
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