とおっしゃいましょう。」
つと寄ると、手巾《ハンケチ》を払った手で、柄杓の柄の半ばを取りしめた。その半ばを持ったまま、居処《いどころ》をかえて、小県は、樹の高根に腰を掛けた。
「言いますわ、私……ですが、あなたは、あなたは、どうして、ここへ……」
「おたずね、ごもっともです。――少し気取るようだけれど、ちょっと柄にない松島見物という不了簡《ふりょうけん》を起して……その帰り道なんです。――先祖の墓参りというと殊勝ですが、それなら、行きみちにすべき筈です。関屋まで来ると、ふと、この片原の在所の寺、西明寺ですね。あすこに先祖の墓のある事を、子供のうち、爺さん、祖母《ばあ》さんに聞いていたのを思出しました。勿体ないが、ろくに名も知らない人たちです。
墓は、草に埋《うず》まって皆分りません、一家遠国へ流転のうちに、無縁同然なんですから、寺もまた荒れていますしね。住職も留守で、過去帳も見られないし、その寺へ帰るのを待つ間《ま》に――しかし、そればかりではありません。
――片原の町から寺へ来る途中、田畝畷《たんぼなわて》の道端に、お中食処《ちゅうじきどころ》の看板が、屋根、廂《ひさし》ぐるみ、朽倒れに潰《つぶ》れていて、清い小流《こながれ》の前に、思いがけない緋牡丹《ひぼたん》が、」
お誓は、おくれ毛を靡《なび》かし、顔を上げる。
「その花の影、水岸に、白鷺が一羽居て、それが、斑※[#「(矛+攵)/虫」、第4水準2−87−65]《はんみょう》――人を殺す大毒虫――みちおしえ、というんですがね、引啣《ひきくわ》えて、この森の空へ飛んだんです。
まだその以前、その前ですよ。片原まで来る途中、林の中の道で、途中から、不意に、無理やりに、私の雇った自動車へ乗込んだ、いやな、不気味な人相、赤い服装、赤いヘルメット帽、赤い法衣《ころも》の男が、男の子四人、同じ赤いシャツを着たのを連れて、猟銃を持ったのがありましてね。勝手な処で、山の下へ、藪《やぶ》へ入って見えなくなったのが――この山|続《つづき》のようですから、白鷺の飛んだ方角といい、社《やしろ》のこのあたりか。ずッと奥になると言いますね、大沼か。どっちかで、夢のような話だけれど、神と、魔と、いくさでもはじまりそうな気がしたものですから。」
銑吉は話すうちに、あわれに伏せたお誓の目が、憤《いきどおり》を含んで、屹《きっ》として、それが無念を引きしめて、一層青味を帯びたのに驚いた――思いしことよ。……悪魔は、お誓の身にかかわりがないのでない。
「……わけを言います、小県さん、……言いますが、恥かしいのと、口惜《くやし》いのとで、息が詰って、声も出なくなりましたら、こんな、私のような、こんな身体《からだ》に、手をお掛けになるまでもありません。この柄杓の柄を、ただお離しなすって下さい。そのままのめって、人間の青い苔《こけ》……」
「いや、こうして、あなたと半分持った、柄杓の柄は離しません。」
「あの、そのお優しいお心でしたら、きつけの水を下さいまし……私は、貴方《あなた》を……おきれいだ、と申しましたわね、ねえ。」
「忘れました、そういう串戯《じょうだん》をきいていたくはないのです。」
「いえ、串戯ではないのですが。いま、あの、私は、あの薙刀で、このお腹《なか》を引破って、肝《きも》も臓腑も……」
その水色に花野の帯が、蔀下《しとみした》の敷居に乱れて、お誓の背とともに、むこうに震えているのが見える。榎の梢がざわざわと鳴り、風が颯《さっ》と通った。
「――そこへ、貴方のお姿が、すっと雲からおさがりなすったように……」
「何、私なら落ちたんでしょう。」
「そして、石段の上口《あがりくち》に見えました。まるで誰も来ないのを知って、こちらへ参っているのですし、土地の巧者な、お爺さんに頼みまして、この二三日、来る人も留めてもらうように用意をしていましたんですもの! 思いもよらない、参詣の、それが貴方。格子から熟《じっ》と覗《のぞ》いていますと、この水へ、影もうつりそうな、小県さんなんですもの、貴方なんですもの。」
その爺さんにも逢っている。銑吉は幾度《いくたび》も独りうなずいた。
「こんな、こんな処、奥州の山の上で。」
「御同様です。」
「その拝殿を、一旦《いったん》むこうの隅へ急いで遁《に》げました。正面に奥の院へ通います階段と石段と。……間は、樹も草も蓬々《ぼうぼう》と茂っています。その階段の下へかくれて、またよく見ました。寸分お違いなさらない、東京の小県さん――おきれいなのがなおあやしい、怪しいどころか可恐《こわ》いんです。――ばけものが来た、ばけて来た、畜生、また、来た。ばけものだ!……と思ったんです。」
「…………」
「その怪《ばけ》ものに、口惜《くやし》い、口惜い、口惜い目に逢わされて
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