どたん》とも、八寒地獄の磔柱《はりつけばしら》とも、譬《たと》えように口も利けぬ。ただ吹雪に怪飛《けしと》んで、亡者のごとく、ふらふらと内へ戻ると、媼巫女《うばみこ》は、台所の筵敷《むしろじき》に居敷《いしか》り、出刃庖丁をドギドギと研いでいて、納戸の炉に火が燃えて、破鍋《われなべ》のかかったのが、阿鼻とも焦熱とも凄《すさま》じい。……「さ、さ、帯を解け、しての、死骸を俎《まないた》の上へ、」というが、石でも銅《あかがね》でもない。台所の俎で。……媼《うば》の形相は、絵に描いた安達《あだち》ヶ原と思うのに、頸《くび》には、狼の牙《きば》やら、狐の目やら、鼬《いたち》の足やら、つなぎ合せた長数珠《ながじゅず》に三重《みえ》に捲《ま》きながらの指図でござった。
 ……不思議というは、青い腰も血の胸も、死骸はすっくり俎の上へ納って、首だけが土間へがっくりと垂れる。めったに使ったことのない、大俵の炭をぶちまけたように髻《もとどり》が砕けて、黒髪が散りかかる雪に敷いた。媼が伸上り、じろりと視《み》て、「天人のような婦《おんな》やな、羽衣を剥《む》け、剥け。」と言う。襟も袖も引き※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》る、と白い優しい肩から脇の下まで仰向《あおむ》けに露《あら》われ、乳へ膝を折上げて、くくられたように、踵《かかと》を空へ屈《かが》めた姿で、柔《やわらか》にすくんでいる。「さ、その白《しら》ッこい、膏《あぶら》ののった双ももを放さっしゃれ。獣《けだもの》は背中に、鳥は腹に肉があるという事いの。腹から割《さ》かっしゃるか、それとも背から解《ひら》くかの、」と何と、ひたわななきに戦《わなな》く、猟夫の手に庖丁を渡して、「えい、それ。」媼が、女の両脚を餅のように下へ引くとな、腹が、ふわりと動いて胴がしんなりと伸び申したなす。
「観音様の前だ、旦那、許さっせえ。」
 御廚子の菩薩《ぼさつ》は、ちらちらと蝋燭の灯に瞬きたまう。
 ――茫然《ぼうぜん》として、銑吉は聞いていた――
 血は、とろとろと流れた、が、氷ったように、大腸小腸《おおわたこわた》、赤肝《あかぎも》、碧胆《あおぎも》、五臓は見る見る解き発《あば》かれ、続いて、首を切れと云う。その、しなりと俎の下へ伸びた皓々《しろじろ》とした咽喉首《のどくび》に、触ると震えそうな細い筋よ、蕨《わらび》、ぜんまいが、山賤《やましず》には口相応、といって、猟夫だとて、若い時、宿場女郎の、※[#「参らせ候」のくずし字、65−2]《まいらせそろ》もかしくも見たれど、そんなものがたとえになろうか。……若菜の二葉の青いような脈筋が透いて見えて、庖丁の当てようがござらない。容顔が美麗なで、気後《きおく》れをするげな、この痴気《たわけ》おやじと、媼はニヤリ、「鼻をそげそげ、思切って。ええ、それでのうては、こな爺《じじ》い、人殺しの解死人《げしにん》は免《のが》れぬぞ、」と告《の》り威《おど》す。――命ばかりは欲《ほし》いと思い、ここで我が鼻も薙刀《なぎなた》で引《ひき》そがりょう、恐ろしさ。古手拭《ふるてぬぐい》で、我が鼻を、頸窪《ぼんのくぼ》へ結《ゆわ》えたが、美しい女の冷い鼻をつるりと撮《つま》み、じょきりと庖丁で刎《は》ねると、ああ、あ痛《つつ》、焼火箸《やけひばし》で掌《てのひら》を貫かれたような、その疼痛《いたさ》に、くらんだ目が、はあ、でんぐり返って気がつけば、鼻のかわりに、細長い鳥の嘴《くちばし》を握っていて、俎の上には、ただ腹を解いた白鷺が一羽。蓑毛も、胸毛も、散りぢりに、血は俎の上と、鷺の首と、おのが掌にたらたらと塗《まみ》れていた。
 媼が世帯ぶって、口軽に、「大ごなしが済んだあとは、わしが手でぶつぶつと切っておましょ。鷺の料理は知らぬなれど、清汁《すまし》か、味噌か、焼こうかの。」と榾《ほだ》をほだて、鍋を揺《ゆす》ぶって見せつけて、「人間の娘も、鷺の婦《おんな》も、いのち惜しさにかわりはないぞの。」といわれた時は、俎につくばい、鳥に屈《かが》み、媼に這《は》って、手をついた。断つ、断つ、ふッつりと猟を断つ、慰みの無益の殺生は、断つわいやい。
 畠《はたけ》二三枚、つい近い、前畷《まえなわて》の夜の雪路《ゆきみち》を、狸が葬式を真似《まね》るように、陰々と火がともれて、人影のざわざわと通り過ぎたのは――真中《まんなか》に戸板を舁《か》いていた。――鳥旦那の、凍えて人事不省《ひとごこちなく》なったのを助け出した、行列であった。
 町の病院で、二月以上煩ったが、凍傷のために、足の指二本、鼻の尖《さき》が少々、とれた、そげた、欠けた、はて何といおう、もげたと言おう、もげた。
 どうも解《げ》せぬ。さて、合点のゆかない。現におつかい姫を、鉄砲で撃った猟夫は、肝を潰《つぶ》し
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