きれい》な虫が一つ居はしませんか、虫が。」
「ええ。」
「居る?」
「ええ。居ますわ。」
バタリと口に啣《くわ》えた櫛《くし》が落ちた。お誓は帯のむすびめをうしろに取って、細い腰をしめさまに、その引掛《ひっか》けを手繰っていたが、
「玉虫でしょう、綺麗な。ええ、人間は、女は浅間しい。すぐに死なないと思いましたら、簪《かんざし》も衣《き》ものも欲《ほし》いんです。この場所ですから、姫神様が下さるんだと思いましてさ、ちょっと、櫛でおさえました。ツイとそれて、取損って、見えませんわ。そちらに居ません? 玉虫でしょう。」
筐《かたみ》の簪、箪笥《たんす》の衣《きぬ》、薙刀で割く腹より、小県はこの時、涙ぐんだ。
いや、懸念に堪えない。
「玉虫どころか……」
名は知るまいと思うばかり、その説明の暇もない。
「大変な毒虫だよ。――支度はいいね、お誓さん、お堂の下へおりて下さい。さあ……その櫛……指を、唇へ触りはしまいね。」
「櫛は峰の方を啣えました。でも、指はあの、鬢《びん》の毛を撫でつけます時、水がなかったもんですから、つい……いいえ、毒にあたれば、神様のおぼしめしです。こんな身体《からだ》を、構わんですわ。」
ちょっとなまって、甘えるような口ぶりが、なお、きっぱりと断念《あきらめ》がよく聞えた。いやが上に、それも可哀《あわれ》で、その、いじらしさ。
「帯にも、袖にも、どこにも、居ないかね。」
再び巨榎《おおえのき》の翠《みどり》の蔭に透通る、寂しく澄んだ姿を視《み》た。
水にも、満つる時ありや、樹の根の清水はあふれたり。
「ああ、さっき水を飲んだ時でなくて可《よ》かった。」
引立てて階《きざはし》を下りた、その蔀格子《しとみごうし》の暗い処に、カタリと音がした。
「あれ、薙刀がはずれましたか。」
清水の面《おもて》が、柄杓《ひしゃく》の苔《こけ》を、琅※[#「王+干」、第3水準1−87−83]《ろうかん》のごとく、梢《こずえ》もる透間《すきま》を、銀象嵌《ぎんぞうがん》に鏤《ちりば》めつつ、そのもの音の響きに揺れた。
「まあ、あれ、あれ、ご覧なさいまし、長刀が空を飛んで行く。」……
榎の梢を、兎のような雲にのって。
「桃色の三日月様のように。」
と言った。
松島の沿道の、雨晴れの雲を豆府に、陽炎《かげろう》を油揚に見物したという、外道俳人、小県の目にも
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