うか》を、何處《どこ》へ行《い》つたか分《わか》りません。
 途端《とたん》に……
 ざつ/\と、あの續《つゞ》いた渦《うづ》が、一《ひと》ツづゝ數萬《すうまん》の蛾《が》の群《むらが》つたやうな、一人《ひとり》の人《ひと》の形《かたち》になつて、縱隊一列《じうたいいちれつ》に入《はひ》つて來《き》ました。雪《ゆき》で束《つか》ねたやうですが、いづれも演習行軍《えんしふかうぐん》の裝《よそほひ》して、眞先《まつさき》なのは刀《たう》を取《と》つて、ぴたりと胸《むね》にあてて居《ゐ》る。それが長靴《ながぐつ》を高《たか》く踏《ふ》んでづかりと入《はひ》る。あとから、背嚢《はいなう》、荷銃《になひづつ》したのを、一隊《いつたい》十七|人《にん》まで數《かぞ》へました。
 うろつく者《もの》には、傍目《わきめ》も觸《ふ》らず、肅然《しゆくぜん》として廊下《らうか》を長《なが》く打《う》つて、通《とほ》つて、廣《ひろ》い講堂《かうだう》が、青白《あをじろ》く映《うつ》つて開《ひら》く、其處《そこ》へ堂々《だう/\》と入《はひ》つたのです。
「休《やす》め――」
 ……と聲《こえ》する。
 私《わたし》は雪籠《ゆきごも》りの許《ゆるし》を受《う》けようとして、たど/\と近《ちか》づきましたが、扉《とびら》のしまつた中《なか》の樣子《やうす》を、硝子窓越《がらすまどごし》に、ふと見《み》て茫然《ばうぜん》と立《た》ちました。
 眞中《まんなか》の卓子《テエブル》を圍《かこ》んで、入亂《いりみだ》れつゝ椅子《いす》に掛《か》けて、背嚢《はいなう》も解《と》かず、銃《じう》を引《ひき》つけたまゝ、大皿《おほざら》に裝《よそ》つた、握飯《にぎりめし》、赤飯《せきはん》、煮染《にしめ》をてん/″\に取《と》つて居《ゐ》ます。
 頭《かしら》を振《ふ》り、足《あし》ぶみをするのなぞ見《み》えますけれども、聲《こゑ》は籠《こも》つて聞《きこ》えません。
 ――わあ――
 と罵《のゝし》るか、笑《わら》ふか、一《ひと》つ大聲《おほごゑ》が響《ひゞ》いたと思《おも》ふと、あの長靴《ながぐつ》なのが、つか/\と進《すゝ》んで、半月形《はんげつがた》の講壇《かうだん》に上《のぼ》つて、ツと身《み》を一方《いつぱう》に開《ひら》くと、一人《ひとり》、眞《まつ》すぐに進《すゝ》んで、正面《しやうめん》の黒板《こくばん》へ白墨《チヨオク》を手《て》にして、何事《なにごと》をか記《しる》すのです、――勿論《もちろん》、武裝《ぶさう》のまゝでありました。
 何《なん》にも、黒板《こくばん》へ顯《あらは》れません。
 續《つゞ》いて一人《ひとり》、また同《おな》じ事《こと》をしました。
 が、何《なん》にも黒板《こくばん》へ顯《あらは》れません。
 十六|人《にん》が十六|人《にん》、同《おな》じやうなことをした。最後《さいご》に、肩《かた》と頭《かしら》と一團《いちだん》に成《な》つたと思《おも》ふと――其《そ》の隊長《たいちやう》と思《おも》ふのが、衝《つゝ》と面《おもて》を背《そむ》けました時《とき》――苛《いら》つやうに、自棄《やけ》のやうに、てん/″\に、一齊《いちどき》に白墨《チヨオク》を投《な》げました。雪《ゆき》が群《むらが》つて散《ち》るやうです。
「氣《き》をつけ。」
 つゝと鷲《わし》が片翼《かたつばさ》を長《なが》く開《ひら》いたやうに、壇《だん》をかけて列《れつ》が整《とゝの》ふ。
「右《みぎ》向《む》け、右《みぎ》――前《まへ》へ!」
 入口《いりくち》が背後《はいご》にあるか、……吸《す》はるゝやうに消《き》えました。
 と思《おも》ふと、忽然《こつねん》として、顯《あらは》れて、むくと躍《をど》つて、卓子《テエブル》の眞中《まんなか》へ高《たか》く乘《の》つた。雪《ゆき》を拂《はら》へば咽喉《のど》白《しろ》くして、茶《ちや》の斑《まだら》なる、畑將軍《はたしやうぐん》の宛然《さながら》犬獅子《けんじし》……
 ウオヽヽヽ!
 肩《かた》を聳《そばだ》て、前脚《まへあし》をスクと立《た》てて、耳《みゝ》が其《そ》の圓天井《まるてんじやう》へ屆《とゞ》くかとして、嚇《くわつ》と大口《おほぐち》を開《あ》けて、まがみは遠《とほ》く黒板《こくばん》に呼吸《いき》を吐《は》いた――
 黒板《こくばん》は一面《いちめん》眞白《まつしろ》な雪《ゆき》に變《かは》りました。
 此《こ》の猛犬《まうけん》は、――土地《とち》ではまだ、深山《みやま》にかくれて活《い》きて居《ゐ》る事《こと》を信《しん》ぜられて居《ゐ》ます――雪中行軍《せつちうかうぐん》に擬《ぎ》して、中《なか》の河内《かはち》を柳《やな》ヶ|瀬《せ》へ拔《ぬ》けようとした冒險《ばうけん》に、教授《けうじゆ》が二人《ふたり》、某中學生《それのちうがくせい》が十五|人《にん》、無慙《むざん》にも凍死《とうし》をしたのでした。――七|年前《ねんぜん》――
 雪難之碑《せつなんのひ》は其《そ》の記念《きねん》ださうであります。
 ――其《そ》の時《とき》、豫《かね》て校庭《かうてい》に養《やしな》はれて、嚮導《きやうだう》に立《た》つた犬《いぬ》の、恥《は》ぢて自《みづか》ら殺《ころ》したとも言《い》ひ、然《しか》らずと言《い》ふのが――こゝに顯《あらは》れたのでありました。
 一行《いつかう》が遭難《さうなん》の日《ひ》は、學校《がくかう》に例《れい》として、食饌《しよくせん》を備《そな》へるさうです。丁度《ちやうど》其《そ》の夜《よ》に當《あた》つたのです。が、同《おな》じ月《つき》、同《おな》じ夜《よ》の其《そ》の命日《めいにち》は、月《つき》が晴《は》れても、附近《ふきん》の町《まち》は、宵《よひ》から戸《と》を閉《と》ぢるさうです、眞白《まつしろ》な十七|人《にん》が縱横《じうわう》に町《まち》を通《とほ》るからだと言《い》ひます――後《あと》で此《これ》を聞《き》きました。
 私《わたし》は眠《ねむ》るやうに、學校《がくかう》の廊下《らうか》に倒《たふ》れて居《ゐ》ました。
 翌早朝《よくさうてう》、小使部屋《こづかひべや》の爐《ゐろり》の焚火《たきび》に救《すく》はれて蘇生《よみがへ》つたのであります。が、いづれにも、然《しか》も、中《なか》にも恐縮《きようしゆく》をしましたのは、汽車《きしや》の厄《やく》に逢《あ》つた一|人《にん》として、驛員《えきゐん》、殊《こと》に驛長《えきちやう》さんの御立會《おたちあひ》に成《な》つた事《こと》でありました。



底本:「鏡花全集 卷二十一」岩波書店
   1941(昭和16)年9月30日第1刷発行
   1975(昭和50)年7月2日第2刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:土屋隆
校正:門田裕志
2005年11月1日作成
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